「米子をトライアスロンの聖地に」 元オリンピアンが未来のためにかかげる「聖火」

トライアスロンが生まれたのは1974年のアメリカ。比較的新しいこの競技では、水泳・自転車ロードレース・マラソンの3種目を連続して行う。日本国内で最初にトライアスロンの大会が開催されたのは、1981年のこと。場所は「日本トライアスロン発祥の地」の碑も立つ、鳥取県米子市の皆生(かいけ)温泉だ。この地で次世代トライアスリートの育成に取り組んでいるのは、2000年のシドニーオリンピックでトライアスロン日本代表に選ばれた小原工さん。

シドニー五輪に出場した小原 工さん シドニー五輪に出場した小原 工さん

2014年に「特定非営利活動法人皆生スポーツアカデミー」を設立し、トライアスロンを通じて子どもたちにスポーツの楽しさを伝えている。コロナ禍のいま、指導者として、そして元オリンピアンとして願うこと、そして聖火リレーに託す思いについて話を聞いた。

初のトライアスロン日本代表選手として世界へ

トライアスロンがオリンピック種目として初登場したのは、2000年のシドニーオリンピック。小原工さんは、初のトライアスロン日本代表として選ばれた選手のひとりである。 「トライアスロンは“自分自身との戦い”という側面が大きい競技です。オリンピックで行われる距離の短いレースの場合、そこに“競技性”という特徴が加わってくるんです」 オリンピックは選手個人としてだけでなく、国を背負って競う戦いでもある。その中で、自分がどれだけ世界に通用するのかを追求していく。シドニーオリンピック出場時の小原さんも、「自分がこの体と心で、どれだけ世界と戦えるのか」という緊張感とともに競技に挑んだと振り返る。 最初に日本代表として選ばれ、世界の大会に参加したのは、シドニーオリンピックから遡ること7年。1993年にイギリスで行われた大会だった。海外の大柄な選手たちを目の当たりにした小原さんは、前向きな気持ちを失ってしまったという。 「小柄な自分が大きな選手に勝てるわけがないと、ネガティブな姿勢になってしまったんです。当然レースも思うようにいかず、120人中104位という散々な結果で終わりました」

シドニーの高揚感は今も胸に

帰国する飛行機の中でふと思い出したのが、1992年のバルセロナオリンピックで金メダルを獲得したマラソン選手・森下広一さんのこと。小原さんと森下さんは同じ鳥取県出身で、中学生時代には県の中学駅伝で競い合う好敵手だった。 「中学時代に競い合った森下選手が、オリンピックの大舞台で活躍する姿が思い出されました。私と同じように決して体の大きくはない彼が、海外の選手と一騎打ちになっても諦めず、自らの限界を超えてレースを進めていく姿が強く印象に残っていて。体格差を理由に諦めちゃいけないな、と改めて勇気づけられました」 前向きな気持ちを取り戻した小原さんは、翌年から練習量を倍に増やし、大きな選手に立ち向かうための精神鍛錬にも取り組んだ。その結果、翌年の世界選手権では104位から36位へ、さらにその翌年には13位まで順位を上げることに成功。トライアスロン選手としての自信を確かなものにした小原さんは実業団チームのプロ選手まで上り詰め、世界を転戦。そしてシドニーへとたどり着いた。 「オリンピックでの高揚感は今も忘れられません。最高峰の舞台に立ち、バイクで先頭を走ったときに聞こえた大歓声は、いつまでも記憶に残っています」

日本代表として戦った時の小原さん(右から2番目) 日本代表として戦った時の小原さん(右から2番目)

アスリートが安心して参加できるオリンピックを願って

シドニーオリンピックから20年以上が経った現在。小原さんは地元米子市で、指導者として選手の育成強化活動に励んでいる。コロナ禍による緊急事態宣言は、彼の活動にも大きな影響をもたらした。 「最初の緊急事態宣言では3週間ほど、育成活動ができなくなりました。今はオンラインツールなどを駆使しながら、子どもたちに指導を行っています」 普段練習に利用していたプールも閉鎖となったため、ひとり用プールを購入して自宅のデッキに設置。選手ごとに時間を区切り、ゴムチューブで体を固定したまま泳ぐ訓練を取り入れるなど、工夫をこらしながら、自らができることを行っている。 「私の教室には年に数回、トップアスリートたちが子どもたちの指導にやってきます。子どもたちにとって、最もモチベーションの上がる機会です。このコロナ禍で子どもたちの大会が軒並み中止になってしまったからこそ、自分たちを指導したアスリートたちがオリンピックで活躍するところを見てもらいたい、という気持ちはあります」

しかし現在、東京オリンピックの開催については賛否両論ある。オリンピックに期待を寄せる小原さんも、選手たちにとって本当に安心できる環境で大会が行われることを願っている。 「このコロナ禍で『安心安全に開催する』と言われても、根拠はどこにあるのだろうか? と正直疑問に思う部分はありますね。その反面、東京オリンピックを目指して取り組んでいる選手たちの姿を見ると、やっぱり開催してほしい、とも感じてしまうんです」

トライアスロン発祥の地から次世代アスリートを

日本トライアスロン発祥の地である米子には、全国からアスリートたちが集まってくる。自然が多く、海の幸も豊か。訪れる多くの人が「空気がおいしい」と感動する場所でもある。Uターンのみならず、都会から移住してくる人も多いという。 「米子は『トライアスロンの聖地』とも呼ばれ、多くの大会が開催されています。私が指導している子どもたちの中にも、オリンピックを目標にしている選手は少なくありません。将来その子たちが世界で活躍できるよう、育成活動に精一杯励んでいきたいですね」 そんな小原さんは、アスリートたちへの激励の気持ちをこめて聖火リレーに参加したいと話す。 「1日でも早くコロナが落ち着いて、トライアスリートをはじめすべての選手たちが安心して活動に専念できることを願いながら、走らせていただきたいと思っています」 米子の街を、多くのトライアスリートたちが駆け巡る日の再来を願って——元オリンピアン・小原さんは、聖火を手に走り出す。

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