「広島に“3つの消えない火”が灯る日」被爆三世の俳優が聖火リレーに馳せる想い

広島県廿日市出身の俳優、和泉崇司(いずみ・そうじ)さん。舞台やテレビなどで活動するほか、防災に関する会社を営む経営者でもある。また、被爆三世として、平和について絶えず思索しながら生きてきた。そんな和泉さんが、広島で行われる聖火リレーにどんな気持ちで臨むのか。思いを聞いた。

広島県廿日市市 はつかいち応援大使の俳優・和泉崇司さん 広島県廿日市市 はつかいち応援大使の俳優・和泉崇司さん

コロナ禍をきっかけに、次のステップへ

コロナ禍で仕事や生活が大きく変化した人が、世界中にたくさんいる。和泉さんもそのひとりだ。本業である役者の仕事はほとんど「ストップ」。その中で、2018年から始めていた会社の経営に注力し、新たな挑戦に踏み出した。 「芸能活動はストップしてしまったのですが、会社を持っていたおかげで、そちらの活動にシフトチェンジしていくことができました。助成金や補助金の申請をし、支援をいただけたことで、計画が実現の方向に動き出しました。言葉を選ばずに言えば、コロナをひとつのきっかけとして、会社として次のステップに進めたと思っています」 広島県内の高校を卒業後、米国アーカンソー中央大学に進学。健康科学・予防医学について学び、2011年に帰国。2012年に芸能界デビューを果たした後は、役者一本で活動していたが、国内における防災の進歩の遅れを憂い、2018年、防災知識を広めるための会社「Universal Intuition」を立ち上げた。コロナ禍の中で始めた新たな挑戦とは、新たな防災システムの開発。今は多くの市民に使ってもらえるよう準備を進めている段階だ。 「僕が会社を設立した理由は、日本で防災が全然進歩していないということからです。アメリカの大学在学中も、被災地や避難所の研究をしていました。東日本大震災のときはアメリカにいて、被災地に入ることができませんでしたが、その後、日本で大きな災害が毎年のように起こる中で、被災地の状況のひどさを改めて目の当たりにしました。 防災という観点からいうと、日本は世界から取り残されています。100年前からあまり変わっていない。難民キャンプと同等の生活レベルしか提供できていない状況だと感じます。それを少しでも変えたいという思いで会社を始めました。今では教育業界の方々と共に、子どもたちが楽しみながら防災を学べるような仕組み作りや、2020年からはシステム開発にも着手しています」 コロナ禍で本業である役者の仕事が減ったが、焦燥感はないと話す。いま役者以外で経験していることが、大好きな芝居にいつか役立つと信じている。 「役者が演技だけやっていればいい、歌手が歌だけを歌っていていい、という時代は終わった気がします。もちろんひとつの仕事に注力できるのは素晴らしいことで、根本としてはそこを目指したいと思いますが、僕はまだ職業として役者と名乗れるほどの実績とキャリアをまだ持っていない。だから、多様な“側面”として見せられるような“柱”を何本も立てていきたいと思っています。 役者は、一生勉強。若くして売れなくても、40、50、60代になって当たり役が見つかる可能性もある。この数年、会社の経営に注力する中で、カメラの前に立つのとは全然違った経験をしてきましたが、それが回り回って役者の仕事に戻ってくる気がしています。なので、役者として今売れなくちゃいけないという焦りはありません。僕はお芝居が好きだからこそ、続けていける環境を自分で作っている。コロナの状況は、自分を見つめ直すチャンスにもなりました」

米陸軍トレーニングで深めた原爆への思い

和泉さんは被爆三世。幼少期から、被爆した祖父母から戦争の話を聞いて育った。そうした被爆者の思いを受け継ぐ一方、米国留学中には約2年間、米陸軍予備将校訓練過程(U.S.ARMY ROTC)を受講。米国の視点から見た原爆にも思いを巡らせた。 「アメリカ留学中に米陸軍のトレーニングを受けました。彼らが原爆を落とした理由にとても興味があったからです。僕たち日本人が知るのは、落とされた方の側面でしかない。しかし、アメリカにはアメリカの正義、そして彼らなりの思いもあったのです。 原爆を落とされた側、落とした側——。幸いにして僕はどちらの意見も聞かせてもらえる機会に恵まれました。落とした、ばかやろう、ということではなくて、原爆投下が起こったという事実を語り継がないといけない。絶対に薄れさせてはいけない。そのことは肌で感じとって生きてきました。 いま原爆を経験した方の数が減ってきている中で、僕らが四世、五世につないでいかないといけない時期に差しかかっています。コロナや五輪についても、ひとつの側面で見るのではなく、多角的な視点を持ちながら語り継ぐ。このようなことを二度と繰り返さないように、知恵を絞りながら新たな可能性を模索していく。それが僕らの責任だと感じています」

聖火がやってきたとき、「消えない火」が広島に3つ灯る

広島の聖火リレーは、1964年の東京五輪開会式で、最終聖火ランナーを務めた坂井義次さんの出身地・三次市からスタートし、広島市の平和記念公園、廿日市市の厳島神社などを通るルートが予定されていた。 だが、感染対策のため公道では行わず、無観客で実施されることとなった。厳島神社をスタートする2日目の第1走者を務める予定だった和泉さんは、宮島の「消えずの火」、平和の灯火、聖火の3つの「火」について語った。

「消えずの火」がある弥山(みせん)の霊火堂 「消えずの火」がある弥山(みせん)の霊火堂

「厳島神社で走るのは楽しみにしていましたが、こういう状況なので仕方ないですね……。厳島神社がある宮島に弥山(みせん)という山があり、そこに弘法大師が修行したときに使って以来、約1200年消えずに残っている『消えずの火』があります。 そして、平和記念公園は『平和の灯』という、世界中から核が廃絶されない限り、灯り続ける火がある。僕の知る限り、広島には消えない火がふたつあり、さらに今回ギリシャから伝わってきているオリンピックの火が、3つ重なるわけです」 多くの人が大事につないできた火を絶やすことなく次へとつないでいく。この行為こそが大事だと和泉さんは言う。 「先の見えない時代の中で、次の方につなぐというのは、単純な作業といえるかもしれません。ただ、これが最後までつながっていくことが大事だと考えています。僕は、未来を担う子どもたちに、『東京五輪のときはね、こういう大変なことがあったんだよ』と、語り継いでいくべきだと考えています」

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