「女性差別をなくすきっかけに」時代と生きた元女性教員が「オリンピック讃歌」に思う希望

聖火リレーとともに、オリンピックの歴史をつなぐ「オリンピック賛歌」。1896年、近代五輪が復活したアテネでの開会式において初めて演奏されて以来、「オリンピックの象徴」として馴染みが深い。 この歌の日本語訳をしたのが、徳島県出身の文筆家・野上彰氏だ。「大空と大地に 清気あふれて 不滅の栄光に輝く高貴と真実と 美をば造りし 古代の神霊を崇めよ」。歌は、このような荘厳な詩から始まる。1964年の東京五輪で初披露された。 「オリンピックを神にも見立て、絶対的な存在であると崇めている。ここは神聖な場だというイメージがひしひしと伝わってくるような、あまりにも立派な歌詞です」 そう語るのは、野上彰氏の意思を継ぐ「野上彰の会」会長の竹内菊世さん。

野上彰の会 会長の竹内菊世さん 野上彰の会 会長の竹内菊世さん

「作品から溢れ出る気品や崇高さは唯一無二」

竹内さんと野上氏との出会いは、彼女の学生時代に遡る。当時、人形劇団に所属していた竹内さんは、脚本家として野上氏の名前を知ることになる。 「川端康成氏に師事し、小説や詩、童話などの文学全般に携わっていた野上さんは『王さまの耳はロバの耳』などの有名児童書の執筆や、戯曲の脚本も手掛けています。学生時代はいくつかの野上作品を人形劇で扱っていました。ただ当時は『名前は知っている人』という認識でしたね」 その後、本格的に彼の魅力の虜になったのは、野上氏との実際の交流を経てからだという。 「卒業後は教員となり、徳島県内のろう学校に就職しました。たまたま当時の校長が野上氏の実弟だったご縁があり、学校にピアノを買う際の基金集めを、野上さんにも手伝っていただく機会がありました。お会いしたのはそのときが初めてです。 スマートな人柄に触れ、改めて野上作品の天才的な言語センスに気づき、忘れられない存在になりましたね。作品から溢れ出る気品や崇高さは唯一無二です。あと、彼の魅力として、背が高くてとてもダンディだったというのもありますよ(笑)」

野上彰さん 野上彰さん

聖火リレーセレブレーションでの「オリンピック賛歌」合唱が中止に

高尚な言葉遣いが特徴的な野上作品は、文学ファンの中でも知る人ぞ知るマニア向けのものも。 「野上さんが書く詩は、とても抽象的な内容なんです。あえて伝わりにくい言葉遣いをすることもあり、流行歌のように誰しもが覚えやすい作品ばかりとは言い切れません。その『わかりづらさ』こそが、情景の奥深さを表現していて、彼の作品の魅力でもあります。 わかりにくいからといって多くの人に知られないのはもったいない。自然に広がっていく作品ではない分、意図的に語り継いでいかなくてはという使命感から、2014年に『野上彰の会』を設立しました」 「野上彰の会」では、年に2回、野上氏を偲ぶイベントを開催してきた。野上氏の忌日である11月4日近くには「アカシア忌」が。野上作品の朗読や合唱、また代表作のひとつである「前奏曲抄」の詩碑が設置される、新町橋西公園(徳島市内)の清掃活動も行っている。春の「アカシア祭」では、観客を入れた演劇や朗読、演奏会なども行っていた。しかし、コロナ禍では思うように活動もできていない。 「大勢で集まることが不可能なので、会員と一切会うことができず、年2回のイベントは中止。とても淋しい思いをしています。県外への移動ができないことが最大の障壁ですね。以前はよく徳島にいらしてくれた東京在住の野上さんのご子息とも、今は対面での交流ができません」 野上さんのご子息は、今回の徳島県内聖火リレーに訪れることも叶わないという。さらに、淋しさに追い打ちが。聖火リレーセレブレーション(各日の最終聖火ランナー到着時に、聖火を迎える式典)での「オリンピック賛歌」合唱が中止となってしまった。県内での感染者増加を受け、独自に発令された「徳島アラート」の影響だ。 「徳島少年少女合唱団をはじめとする方々が、県内随一のコンサートホール『アスティ徳島』で歌う予定でした。私も当日は出席するので、とても楽しみにしていたのですが……残念で仕方がないです。 『オリンピック賛歌』のメロディーは難しく、簡単に歌えるようなものではありません。だからこそ野上さんの訳詞の世界観と素晴らしくマッチングしています。聖火リレーがくるという記念すべき日に、世代を超えた大勢の方に歌われてほしかったですね」

五輪が「女性の生き方」の変化のきっかけに

竹内さんにとって、東京五輪は2回目。しかし1964年当時は、教員の仕事と主婦業の両立に忙しく、オリンピックをじっくりと楽しむ状況ではなかったという。 「昭和初期生まれの私にとって、仕事をしていようがいまいが、家事も育児も全て女性が担うのが当たり前でしたから。幼いころから父の存在は絶対的で、母はまるでお手伝いさんのようでした。でも、あのころは『そういうもの』だと思っていましたし、男女差別に対しても、怒りというより甘んじて受け入れてしまう感覚がありました」 「教員」「母」「妻」という立場を完璧にこなし、さらに自身の文学活動も積極的に行ってきた。県内の文芸団体「徳島ペンクラブ」の会長を5年間務めた経験もある。 「当時、県主催の会合に招集されても、約30人の出席者の中で女性は私だけ。矢面に立つのは男性、女性は家庭に……。それが我々世代にとっては見慣れた光景なんです」 ただ、自身の娘や孫を通し「女性の生き方」には確実な変化を感じているという。 「私は、時代を映す鏡は『家庭』だと思っています。孫の家庭では、男性も家事や育児を自分の仕事として率先して行っています。我々世代の『当たり前』がこうも変わってきているのかと、感心するほどです。2月、森喜朗・前五輪組織委員会会長が女性蔑視発言で辞任しましたよね。

女性蔑視発言で辞任した森喜朗前五輪組織委員会会長 女性蔑視発言で辞任した森喜朗前五輪組織委員会会長

変な話、私としては『この世代にはこういう失言をしてしまう人もいるだろうな』と妙に納得する部分もありました。でも今の時代、やはり声を上げる方が多かった。ある意味で、オリンピックが時代の変化のきっかけとなった素晴らしい出来事だったと思います。希望を感じますね」 「闘う者に 鉄のごとき力と 新たなる精神とをあたえよ」―「オリンピック賛歌」の一節だ。ここでいう「闘う者」とは、アスリートを指すのであろう。しかし竹内さんのような「女性」をはじめとする、今を生きる全ての人に置き換えられるのではないだろうか。闘う全ての者に、鉄のごとき力と新たなる精神とを——。 古代から時代の変化を見てきたオリンピックを「歌詞」という永遠に残る形で、未来につないだ野上彰氏。今の時代は、彼の目にどう映っているのだろうか。

コース紹介&インタビュー一覧

関連リンク