東京オリンピック・パラリンピック延期後の日程を更新しました。聖火リレーの日程は公式情報が発表され次第更新します。

東京2020聖火リレー公式アンバサダー 野村忠宏さんインタビュー

「感動や喜びは一瞬でもいい」三連覇の地、アテネを走る聖火ランナーとして

(※本インタビューは、新型コロナウイルス感染の懸念が広がる以前、2020年2月13日に行われました。また、ギリシャ国内の聖火リレーは中止となりました。) オリンピックには柔道選手として3大会連続で出場し、すべての大会で金メダルを獲得しました。引退後は、キャスターという立場でオリンピックに携わり、さまざまな競技や選手の取材を行っています。インタビュー中にも本人が口にしていましたが、オリンピックと野村忠宏さんの間には、それぞれを強く結びつける「縁」があるように感じられます。 その縁は今年、再び両者を近づけます。野村さんは「東京2020聖火リレー公式アンバサダー」を務め、さらには聖火ランナーとしてオリンピック発祥の地であるギリシャを走行するのです。多様な形でオリンピックと向き合う野村さんに、聖火リレーについて、金メダル獲得の裏側について、そしてオリンピックと自分自身の関係性についてお話を伺いました。

3大会連続での金メダル獲得。『野村忠宏にはオリンピックの女神が微笑んだ』

キャリアや経験を積み重ねていく中で、オリンピックという世界的な祭典と自分自身に強い結びつきを感じていたという野村さん。東京2020聖火リレー公式アンバサダーへの就任については、「素直に嬉しかった」と頬を緩ませます。 「オリンピックにはアスリートとして3度もチャレンジする機会をいただき、キャスターとしては夏季・冬季合わせて3回現地に足を運ばせてもらいました。オリンピックという大会と野村忠宏の間には『縁があるのではないか』と感じていた中で、自国開催の今年は東京2020聖火リレー公式アンバサダーを務めさせていただきます。とても光栄に思いましたし、心から嬉しいという気持ちが湧き上がってきました」 野村さんは1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネと3大会連続でオリンピックに出場。すべての大会で柔道男子60キロ級の金メダリストとなり、全競技を通じてアジア人初となるオリンピック三連覇という偉業を達成しました。野村さんにとってオリンピックとはどのような大会だったのでしょうか。 「オリンピックにおける柔道という競技は、トーナメント戦で優勝するためには、1日5試合勝ち抜かなければいけない。どういう相手が勝ち上がってくるのか、自分の対戦相手が誰になるのか、当日のその瞬間まで状況が全く見えない怖さを常に感じていました。そのような中で勝ち上がり、世界一へと登り詰めるには、選手個人の実力はもちろんのこと、目には見えないプラスアルファの要素も必要になってきます。よく『オリンピックには魔物がいる』というフレーズを耳にしますが、3大会連続で金メダルを取らせてもらった自分としては、『野村忠宏にはオリンピックの女神が微笑んだ』と思うんですよね」

2015年8月、野村さんは40歳で現役を退きます。引退後は国内外にて柔道の普及活動を行いながら、キャスターやコメンテーターとしても活躍。立場が変わっても、これまで培ってきた経験が自分自身の今を支えてくれています。 「東京オリンピックは、33競技・339種目、それぞれの選手たちが目標達成に向けて挑んでいきます。私は柔道家ですが、4年に一度という大舞台で“戦うということ”や“必要なメンタリティー”など、現役アスリートと共有できる要素はたくさんある。そのような選手のプレッシャー・不安・喜びなどの気持ちは分かり合えると思っています」 取材の現場では、インタビュアーを務める野村さんに対して、様々なアスリートから“逆質問”を投げ掛けられることも少なくないそうです。 「私は取材をさせていただく立場にあるのですが、取材前後の何気ない会話によってアスリートの方々にも何かしらの情報を与えることができればと思っています。各競技の選手たちも超一流なのですが、私と出会ったことによって改めてオリンピックを深く考え、いい意味での変化がもたらされているようであれば、それはアスリートの先輩としてとても嬉しいですね」

「俺は本当にこの大舞台で戦っていたのか?」「もう二度とこんな世界では戦えない!」と思った

現役を退き、これまでとは違う形でオリンピックを目の当たりにした時、野村さんはその壮大さに改めて気がついたといいます。3大会連続で金メダルを獲得した経験を持つ野村さんでさえも、そのスケールの大きさには驚愕しました。 「キャスターとして現地で取材させていただき、オリンピックをそれまでとは違う角度で見た時に、『俺は本当にこの大舞台で戦っていたのか?』『もう二度とこんな世界では戦えない!』と思ったものです。客観的に見ると、オリンピックという大会には自分が足を踏み入れたことを疑うくらいの強烈な緊張感が漲っていました。しかも柔道は1日で完結する競技。つまり、『4年間の中の1日』ですべての結果が出るのです。我ながら、『その勝負によく3度も勝てたな』と思いましたね。戦う準備をして向き合ったオリンピック、伝えるを目的で観たオリンピックとでは感じ方が全然違いました」 初挑戦は1996年のアトランタ大会。当時の野村さんは天理大学体育学部の学生で、若さが大きな武器となりました。 「大学4年生でしたし、まだ世界というものを知らない中で、がむしゃらにがんばっていましたね。もちろん、『日本の柔道を背負って戦う』というプレッシャーもありましたが、今振り返ると当時はまだまだその重みを何も分かっていなかったような気もします。ただ見方を変えれば、そういったことを知らないからこその強さや勢いというものを持ち合わせていた部分もあったのかもしれませんね」 2000年のシドニー大会については、「3大会の中で一番プレッシャーがありました」と野村さん。4年前とは異なり、様々なものを背負って大会に挑みました。 「アトランタの時は何も知らない若者でしたが、シドニーの時は前回大会の金メダリストとして出場するオリンピックでしたからね。その分、プレッシャーもありました。でも、金メダリストとして4年間を過ごす中で、自分自身の成長も実感していました。中でも、チャンピオンとしての絶対的な自信とプライド。これを手にすることができたのは大きかったですね。自分に対する自信や誇りが、プレッシャーを完全に凌駕していましたから」 シドニー大会後、野村さんは柔道から少し距離を置きました。現役選手として柔道を続けていくかどうかを悩んでいたのです。「決断をするまで2年かかりましたが、結局自分が出した答えは“挑戦”でした」と、アテネオリンピックへの出場を目標に掲げ、野村さんは再び立ち上がります。しかし、待っていたのは苦難の道でした。 「復帰初戦も第2戦も負けました。出る試合すべてが惨敗。勝てない理由が分からなかったし、自分自身を完全に見失っていました。『俺は2連覇した野村だ!』『世界チャンピオンなんだ!』というプライドが、自分の柔道を弱くしていることに気づけなかったのです」

「自分以外は全員がアテネでの三連覇は無理だと諦めていたと思います」という状況の中、野村さんは徹底的に自分自身と向き合います。「これまでの柔道人生の中で体に染み込ませてきた技術をいかにして引き出すか?」をこの先のポイントの一つと考えた時、あることに思い当たります。 「『オリンピック2連覇』『自分こそがチャンピオン』というプライドが、自分を弱くしていた。2年のブランクというマイナス要素があるにもかかわらず、自分は『格好良く勝ちたい』『一本勝ちを重ねたい』『負けるわけにはいかない』という思いばかりを抱えていました。そんな状況では持ち味である攻撃的な柔道を出せるはずがないんですよね」 二連覇した王者としてのプライドを捨て、弱さを認め、弱くなった自分を受け入れることから再スタートし、本来の姿を取り戻していった野村さんは、3度目のオリンピックに挑むことになります。 「どん底まで落ちて、そこから這い上がってアテネの畳に立つことができました。もちろん金メダルを取って三連覇を達成したいという気持ちはありましたが、柔道を通して自然と学んできた礼法などの所作の部分含め、日本柔道の強さと美しさを表現したいと考えていました。そのような心理状態だったので、私自身とても冷静でしたし、すべての対戦相手が自分より一回りも二回りも小さく感じられるくらいの自信と余裕を持って試合に挑むことができた大会でした」

オリンピックで金メダルを勝ち取った瞬間のように、感動や喜びというのは一瞬でもいいんです

東京2020の聖火は、3月12日に古代オリンピック発祥の地、ギリシャ・オリンピア市にあるヘラ神殿跡で採火される予定です。現地での1週間に渡る聖火リレーを経て、3月19日にはアテネのパナシナイコスタジアムで聖火引継式が開催されます。野村さんはこの聖火引継式前の日本代表ランナーとして登場します。 「ギリシャはオリンピック発祥の地であり、私自身もオリンピック三連覇を達成することのできた最も思い出深いところです。2004年8月以来15年ぶりとなりますが、聖火ランナーとしていま一度訪問できることに大きな縁を感じます」 自分自身が聖火ランナーを務めている姿を想像してもらうと、すぐに野村さんの気持ちの高ぶりが伝わってきました。 「聖火リレーの公式ユニフォームを着た自分が前の走者から聖火を受け取り、その沿道にはたくさんの現地の応援してくださる方々がいる。そんなシーンを想像しただけでも鳥肌が立ちますし、武者震いしますね。『その時、自分はどういう気持ちでいるんだろう?』と考えるだけで楽しみが広がります。走行距離は200メートルと決して長いものではありませんが、オリンピックで金メダルを勝ち取った瞬間のように、感動や喜びというのは一瞬でもいいんです。その一瞬を味わうことが大事であり、私はそのために全力を尽くしたいといつも考えてきました」 ちなみに、野村さんの母、八詠子さんもオリンピックの聖火ランナーを務めたことがあるというから驚きです。当時、天理大学体育学部の1年生だった八詠子さんは、競泳の選手として1964年の東京オリンピック出場を目指していました。選手としての出場は叶わなかったものの、聖火リレーで奈良県の第1走者を務め、五條市内の1.4キロを走ったそうです。 「母が聖火ランナーを務めているシーンの写真が実家に飾ってありました。子どもの頃は『何かのイベントに参加したのかな?』としか思いませんでしたが、今思い返せば『選手としては出られなかったけれど、聖火ランナーとして走る機会をいただいた』と誇らしく語っていましたね」 さらにお話を伺うと、「母は2004年のアテネ大会の時にも聖火ランナーを務めているんですよ」と野村さん。八詠子さんにとって2度目の聖火リレーでは、日本スポーツの拠点として活躍し、昨年55年の歴史に幕を下ろした岸記念体育会館付近(東京都渋谷区)で、日本オリンピック委員会の竹田恒和会長(当時)と聖火をつなぎました。 「当時はオリンピアンと一般の方々の合計136名が東京で走者を務めたそうなんですが、母は一般公募の枠で走らせてもらったと聞いています。『自分が走ることで、息子の三連覇の後押しができれば!』という一心で応募したところ、見事に選ばれたそうです」

重大な役割を持った聖火リレーに、ぜひ一人でも多くの方に注目していただきたい

東京2020の聖火は、3月26日に福島県を出発し、7月24日までの約4カ月をかけて日本全国を回ります。野村さんは聖火の持つ力、その役割の重要性を広めていこうとしています。 「聖火リレーの期間中は日本中を巡る炎に大いに関心を持っていただけると思いますし、私としてもとても楽しみにしています。聖火をつないでいく中で、各都道府県や各地域が工夫をこらして地元の特色やアピールポイントを示していくでしょう。また、大きな盛り上がりやお祭りのような楽しい雰囲気も感じられるはずです。皆さんの笑顔と、『がんばろう!』『つないでいこう!』というエネルギーが東京2020の開会式へと直結し、大会を盛り上げていきます。そのような重大な役割を持った聖火リレーに、ぜひ一人でも多くの方に注目していただきたいと思います」 (※本インタビューは、新型コロナウイルス感染の懸念が広がる以前、2020年2月13日に行われました。また、ギリシャ国内の聖火リレーは中止となりました。)

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