
筑波大学教授で日本オリンピックアカデミー(JOA)理事を務める真田久教授に、選りすぐりの聖火に関するトリビアを教えていただきました。聖火に関する知識を深めて、さらに聖火リレーを楽しみましょう。
Yahoo! JAPAN編集部
筑波大学教授で日本オリンピックアカデミー(JOA)理事を務める真田久教授に、選りすぐりの聖火に関するトリビアを教えていただきました。聖火に関する知識を深めて、さらに聖火リレーを楽しみましょう。
古代ギリシャでは、神殿や市役所などに火を灯しておく炉が設けられ、一年中、焚かれていた。その火はヘスティアという女神が宿っていて、ヘスティアがいる限り(火が灯されている限り)その都市は平和と幸福が約束されると信じられていた。火が消えないように見張る役人や巫女も置かれていた。
古代オリンピックが行われたオリンピアにもヘスティアを祀る祭壇があり、火が灯されていた。オリンピックの期間中はゼウス神殿、ヘラ神殿の祭壇でも火が灯された。今日ではヘラ神殿の外側にあるヘラの祭壇で聖火が太陽光から採火される。
古代における採火の方法は、他の神殿の聖火を譲り受ける方法と太陽光から火を起こす方法とがあった。オリンピアでは太陽光を凹面鏡で受けて火を起こした。今日もその方法を踏襲している。
数日前の晴天の日にリハーサルを行い、同様の方法で採火し、それをカンテラに予備として保存しておく。儀式当日に太陽が現れない場合は、そのカンテラから採火する。
古代ギリシャでは、人口増により周辺地域に都市(植民都市)が作られ拡大していった。新しい植民都市は、母市の聖なる火を移送して市庁舎の炉に採火した。そうすることで両者が繋がると考えられていた。途中で邪な人に出会うと聖なる火は汚れるので、なるべく速く目的地に運ぶことが重要だったため、リレー方式で運ばれた。
古代オリンピックでは聖火リレーは行われなかった。しかしアテネではパンアテネ祭という盛大な祭典が隔年おきに開催され、そこでは若者による聖火リレーが競走形式で行われた。 夕刻、アクロポリスの丘にあるパルテノン神殿を目指して12チームがふもとから駆け上がってリレー形式で競走した。美しく壮大な景観であった。
古代オリンピックが始まる前に、まもなくオリピックが始まることと戦争の中止を呼びかける平和の使者(スポンドフォロイ)がオリーブの小枝を持ってギリシャ中を回った。今日の聖火リレーはオリンピック精神である平和を伝える意味もある。
オリンピックで聖火台がされたのは1928年の第9回大会(アムステルダム)が初めて。スタジアムの外側に塔が設置され、聖火が灯された。1932年の第10回大会(ロサンゼルス)ではスタジアム内に聖火台が設置され、大会期間中聖火が灯された。
聖火リレーを考案したのはカール・ディームというスポーツ教育学、スポーツ史を専門とする学者で1936年のベルリン大会の事務総長。考案した理由を、古代との関連を強める、各国を通過するので青少年の教育につながる、見た目に美しく芸術的である、という理由だった。 しかしナチスドイツの宣伝も兼ねて行われた。ナチスドイツのシンボルマークである鉤十字の旗と共にドイツ国内で聖火がリレーされた。
当時はオリンピアへのアクセスが悪かったので、聖火リレーを行うための道路をオリンピア周辺に新たに作らなければならなかった。太陽光を集めて発火させる凹面鏡を苦労して作成した。
聖火リレーの権利と権限はIOCにある。オリンピアでの採火とアテネまでの移送はギリシャオリンピック委員会が責任を持つ。アテネから東京のオリンピックスタジアムまでの移送は東京大会組織委員会が責任を持つことになっている。三者により聖火の採火と聖火リレー、スタジアムでの点火が行われる。
戦後初めてのオリンピックとなる1948年ロンドン大会では、ギリシャの第一走者Corporal Dimitrelisはトーチを手にする前に、軍服を脱ぎ、その後にトーチを持って走った。戦争が終わり平和になったことを示した。
1964年東京大会での最終ランナーは坂井義則さん(1945年8月6日、広島県生まれ)。原爆が投下された日に広島で生まれた若いアスリートが最終走者として聖火台に点火。平和へのメッセージになった。 今回の東京オリンピックの閉会式は8月9日、長崎原爆投下の日。閉会式に際して、何らかのメッセージを打ち出すべきでは?という声も上がっている。
1964年の聖火リレーはアテネからアジアの11か国・地域を回る壮大なものであった。イスタンブール(トルコ)→ ベイルート(レバノン)→ テヘラン(イラン)→ ラホール(パキスタン)→ ニューデリー(インド)→ ラングーン(ビルマ)→ バンコク(タイ)→ クアラルンプール(マレーシア)→ マニラ(フィリピン)→ ホンコン(ホンコン)→ 台北(チャイニーズ・タイペイ)と、11の中継地を経て、沖縄に到着。沖縄はまだ占領下だったが、日の丸をふることができた。
1964年、沖縄から鹿児島に入った聖火は4つのコースで日本国内をくまなくリレーされた。 4コースの空輸総距離は2,692km、地上リレー総距離6,755km(リレー総区間4,374区間)、参加リレー走者は10万713名。これはオリンピックの聖火リレー史上、最大の人数である。
1992年の第25回オリンピック(バルセロナ大会)の開会式で行われた聖火の点灯はパラリンピックのアーチェリーの選手(アントニオ・レボージョ)が火矢を放ち、聖火台の上を見事に通過してガスに引火し点火した。
2008年の第29回オリンピック(北京大会)では、エベレスト(チョモランマ8848m)山頂に登った。2008年5月8日のことであった。 登頂成功後、全てのベースキャンプのごみを徹底的に片付け、エコ活動をアピールした。
2013年11月7日、ソチでのオリンピック冬季大会のための聖火のトーチが宇宙船ソユーズで国際宇宙ステーションに運ばれた。2013年11月9日、国際宇宙ステーションから船外に出され、火はともされなかったが、二人の飛行士が1時間以上、トーチを持って遊泳し、聖火リレーが行われた。
アテネから日本に3月20日に到着した後に、復興の火として東北3県(宮城、岩手、福島)持ち回りで展示される。26日に福島県のナショナルトレーニングセンターJビレッジから聖火リレーがスタートする。 最初のランナーは2011年にFIFA女子ワールドカップで優勝したなでしこジャパンのメンバー。東日本大震災が起きた直後のワールドカップで見事に優勝し、被災地に励ましを送ったメンバーによる聖火リレーでスタートする。
トーチは、東日本大震災の復興仮設住宅のアルミ建築廃材を再利用している(再利用アルミの含有率は約30%)。人々の生活を見守ってきた仮設住宅が、平和のシンボルとしてオリンピックトーチに姿を変え、一歩ずつ復興に向けて進む被災地の姿を世界に伝える。
2020年3月26日から7月24日まで121日間行われる聖火リレーは、全都道府県を回る。各地でお国自慢を込めたコースを様々な人たちが聖火ランナーとして走る。スキーヤーが聖火を手にしてゲレンデを滑ったり、ロープウェイや船に乗せて運ばれるものもある。
今回の聖火リレーでは、スペースアンバサダーとして野口聡一さんと星出彰彦さんが、宇宙からメッセージを送る。国際宇宙ステーションからどのようなメッセージをどのように送ってくれるのか楽しみ。
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競技紹介
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