水球に愛された日本のエース・稲場悠介が世界の得点王になる日

2021/3/22 11:57

(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

水球の日本代表が世界に衝撃を与えている。従来、水球ではオフェンスのプレイヤーにディフェンスのプレイヤーが一対一で対応する「マンツーマン・ディフェンス」が守備態勢の常識だった。しかし、日本代表はあえて相手の前に出てパスをカットし、速攻でゴールを狙う常識を覆す戦法で、今や世界の強豪国を脅かす存在になっているのだ。そして、その中心にいる天才ゴールゲッターが、今季はイタリア・セリエAで活躍する稲場悠介だ。小学生の時すでに「世界一の水球選手になると決めた」という稲場の実力と魅力に迫る。

世界で最も注目され、評価される若手水球選手

東京五輪を機にスター選手として羽ばたく可能性を秘めた、水球男子日本代表の若きエース・稲場悠介。

高校3年生だった2018年の春、稲場は日本代表のポイントゲッターに起用されると、ワールドリーグのインターコンチネンタルカップで得点王に輝き、日本を2位に導いた。さらに2019年12月に開催された世界ジュニア選手権では、日本代表は8位に留まった一方、自身はMVP(最優秀選手)に選ばれた。

「20歳以下では、間違いなく僕が最高のプレイヤーだったので」

涼しい顔でそう振り返る稲場は、2019年までの2年間、ルーマニアのプロチームで活躍し、現地で街を歩けば声をかけられる人気選手となっていた。

日本では知名度も注目度もまだ高くない水球だが、ヨーロッパ諸国では人気スポーツの一つ。ハンガリー、セルビア、モンテネグロ、イタリアなどでは特に盛んで、水球を国技と呼ぶ国もあるという。週に1度行われる公式戦は、地上波のテレビでも中継される。花形選手は国の英雄的存在で、CMなどにも起用され、当然のように高い報酬を得ている。2020年から世界最高峰のプロリーグと呼ばれるイタリアのセリエA1、SCクイントでプレーしている稲場も、そうしたスター選手への階段を昇り始めているのだ。

2018年のアジア競技大会で日本は銀メダルを獲得した(写真:森田直樹 アフロスポーツ)

若き得点王の武器は世界基準の「脚の強さ」

稲場が水球を始めたのは小学校1年生の時。先に始めていた兄・航平を母と迎えに行くうち、水球への思いが高まっていった。

「本当は5歳の頃からやりたかったのですが、小学生になるまでクラブに入れてもらえない決まりで。始めてからはすぐに、水球で世界一になる、と決めました」

彼と話していると、「夢を追いかけている」感じがしない。まるで水球の方から呼ばれているかのようで、「運命みたいな感じですよね」と本人も笑う。

身長2m級が揃う世界の水球選手に比べて、稲場は178cm。だが、それを嘆く声はなく、ディフェンダーを翻弄し、楽々とゴールを決める。いったい、稲場の揺るぎない自信はどこから来るのだろうか?

コロナ禍で渡航が制限される直前だった2020年1月、グアムで日本代表合宿を取材すると、稲場について語った先輩たちはこう口を揃えた。

「水中で動くときの一瞬の移動距離が全然違う」

「上からシュートを打つとき、悠介は水球パンツが全部見えるくらい高く飛び上がる」

シュートの威力や多彩さに加え、脚の強さ、水中での動きの鋭さが群を抜いているという。そして、その秘訣について問われた稲場は、次のように語る。

「小学生の頃からヨーロッパのプロリーグのビデオをくり返し見ていたので、世界の水球が身体に染みついています。水球の考え方や鍛え方が常識的な日本選手と全然違うんです。

日本では泳ぐ練習にすごく時間をかけます。僕はそれほど練習しなくても泳ぎは速かった。いちばん時間をかけたのは、『脚(あし)の練習』です」

中学時代の恩師・舟崎紘史は、ヨーロッパのプロ経験を持つ指導者だ。そのため、他のクラブと違って、水中での動きを高める『脚の練習』を重視していた。水球は水を弾みにしてしか動くことができない。いかに水を蹴るか、水を引き寄せるかが勝負であり、稲場はそのために必要な「水中での脚の強さ」を少年時代から鍛え上げていたのだ。

2019年の世界水泳・光州大会にも出場した(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

世界に衝撃を与える"ポセイドン・ジャパン"

ポセイドン・ジャパンの愛称を持つ水球男子日本代表は、リオ五輪以来、急速に世界との距離を縮めている。2012年に就任した大本洋嗣監督は、一対一の攻防を避け、1点を失う覚悟でカウンターアタックの態勢を予め整える戦法『パスライン・ディフェンス』を採用。このスピード重視の超攻撃的なスタイルが強豪国を戸惑わせ、世界に衝撃を与えているのだ。

「大きな相手に勝つにはスピードしかありません。水中で掴み合ったら動きが止まる。見ていて退屈なんです。私は水球をスリリングで面白いゲームにしたい」

「水中の格闘技」とも呼ばれ、ゴール前の攻防では高さがモノをいう水球において、大本の挑戦は当初疑問視されたが、今は世界が日本の水球を支持する流れになっている。

大本洋嗣監督(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

実際、2019年世界選手権で比較的高身長ではないイタリア代表が覇権を握ったのは、日本の戦法を一部採用した成果だという。「洋嗣ありがとう! とイタリアの監督に感謝されましたよ」と大本が笑う。

男子日本代表の画期的な水球、そしてエース稲場の天才的活躍は世界の水球を席巻しており、ポセイドン・ジャパンが東京五輪で一次リーグを突破、準々決勝にも勝利して、メダルを獲る可能性は夢ではなくなっている。

メダル獲得に欠かせない「戦術を超える個の力」

世界が警戒し始めたポセイドン・ジャパン。その中核となるのはもちろん、稲場だ。当然、各国からマークされ、研究されている。だが彼には、「水中での脚の強さ」に加え、相手の研究を凌ぐ武器がもう一つある。シュートを打つ前、相手のディフェンダーやゴールキーパーを翻弄する「肩甲骨の動き」だ。

「シュートを打つ前のフェイクです。普通は腕の動きで相手を幻惑するのですが、腕は動かさず、肩甲骨を動かしてタメを作ってタイミングを外します」と、稲場は右肩を動かしながら語る。

ボールを持った右腕は上げたままあまり前後に動かさず、肩甲骨だけを背後で動かして、相手のタイミングを外す。敵から見えない背中側の肩甲骨の動きだけで、いつでもシュートを放つことができるのだ。投げ出す前のバックスイングが要らない。つまり、相手ゴールキーパーにすれば、予備動作なしにいきなりシュートが飛んでくることになる。予測のしようがない。だから、面白いようにゴールが決まるのだ。

肩甲骨の動きに注目だ(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

7月23日開幕が予定される東京五輪。水球は2月21日に1次リーグ(2組)の組み合わせが決まった。日本は、イタリア、ハンガリー、ギリシャ、アメリカ、南アフリカとともにA組に入った。総当たりで上位4チームに入ると決勝トーナメントの準々決勝に進出できる。4位通過ではB組1位との対戦になるため、できるだけ上位で1次リーグを突破したいが、そのためには、「パスライン・ディフェンスだけでは足りない」と稲場は考える。

世界の覇者イタリアが日本の戦術を取り入れたように、すでに日本独自の戦術はかなり研究され、対策も練られている。日本は相手の対策の上を行く高度なパスライン戦術を磨いてはいるが、世界を知る彼の感覚は少し違う。

「オリンピックでメダルを獲るには、やはり一対一で勝負できる強さも必要です。パスライン・ディフェンスが封じられたら、相手の高さを突破する力と技がなければ勝てません」

稲場には、その役を担う覚悟ができている。

(文・小林信也)

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