逃した五輪出場のチャンスが奇跡で一転 女子レスリング・須崎優衣の試練

2021/3/12 10:00

2019年レスリング全日本選手権に出場した須崎優衣(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

女子レスリング・フリースタイル50kg級の須崎優衣(すさき・ゆい=早大)は、その波乱万丈のキャリアを経て、オリンピックの舞台へあと一歩のところまで来ている。
7歳でレスリングを始め、小5の時には「オリンピックに行きたい」と明言した。宿敵・入江ゆきとの熾烈な代表争いのすえ一度は東京オリンピック出場への道が絶たれたかのように思えたが、予想外の事態で夢へのチャンスを手にした。憧れの存在だった吉田沙保里のように、あの場所で輝くことができるのか。彼女のキャリアと素顔に迫る。

吉田沙保里のタックルに魅了された少女時代

勝利の女神はいったい何度試練を与えれば気が済むのだろうか。
女子レスリング・フリースタイル50kg級の須崎優衣を見ていると、そう思わざるをえない。

須崎はキッズレスラー時代から「将来はオリンピアン」と期待された逸材だった。
「私も、オリンピックに行きたい」
小5の時、須崎が早くも周囲にそう宣言している。憧れのレスラーは吉田沙保里。そう、アテネからリオデジャネイロまで4開催連続日本代表としてオリンピックのマットに上がり、"弾丸タックル"を武器に国民栄誉賞まで受賞した希代のレスリングスターだ。

吉田が初めてオリンピックに出場した2004年のアテネ大会の時、須崎はまだ小学校にも入学していない。ただ、学生時代はレスリングで汗を流したという彼女の父・康弘さんは、オリンピックで活躍した日本代表の試合をビデオに収め、自宅でよく見ていた。父と一緒に吉田の試合を見ることで、須崎は吉田のタックルにすっかり魅了されてしまったのだ。

筋はあったのだろう。7歳からレスリングを始め、2年後には早くも全国大会で優勝している。とはいえ、その頃の須崎はレスリングだけに熱中していたわけではない。
レスリングの練習は週2回程度。ほかにピアノ、水泳、英会話も習っていた。中でもレスリングが一番楽しかったと振り返る。
「まわりには仲のいい友達がたくさんいました。それに教えてもらったことができると先生にほめてもらえるので、すごくうれしかったんです」

2019年全日本選抜大会ではリオ金メダリストの登坂絵莉と戦った(写真:森田直樹 アフロスポーツ)

成長を促してくれたのは「負けず嫌い」

小4の時、そんな須崎に初めて試練が訪れる。2年連続優勝を狙っていた全国大会の決勝で負けてしまったのだ。
悔し涙を拭いながら、須崎は心に誓った。「本気でもっと頑張ろう」
格闘技をやる上で、須崎は大の負けず嫌いという才能を持ち合わせていた。小さい頃からやることは何でも一番を目指す子供だった。「運動会の徒競走だけではなく、アップ中のランニングでもずっと一番になりたいと思っていました」
一度負けたことで、負けじ魂に火がついた。レスリングの練習は週3回に増えた。努力の甲斐あって、小5の全国大会ではチャンピオンに返り咲いた。

2つ目の試練は中2の時に訪れた。当時通っていた地元のレスリングクラブの先生からこんなアドバイスを受けた。
「優衣はアカデミーに行った方がもっと強くなれると思う」
アカデミーとは、「JOCエリートアカデミー」を指す。このアカデミーは才能があると認められた中高生のアスリートが、将来的にオリンピックなどの国際大会で活躍できるように設立された「オリンピック版虎の穴」だ。
アカデミーに入れば、たとえ実家が関東圏にあっても勝手に帰ることは許されないという厳しい環境だったが、須崎は入る決意をした。
「通っていたクラブはちびっこが中心だったので、アカデミーに入ってオリンピックで金メダルという目標を達成したいと思いました」
果たして、アカデミーでは想像を絶する激しい練習が待ち構えていた。
「練習量も増えたので、毎日ついていくのが精一杯でした」
学校に行く以外は練習三昧の日々。ホームシックになる暇などなかった。
「ちょっと寂しいと思う時はあったけど、悩む暇なんてなかったですね」

須崎の負けず嫌いを如実に表すエピソードがある。2015年の全日本選手権決勝でのちにライバルとなる入江ゆきに10-0のテクニカルフォールで敗れ準優勝した際の賞状を、アカデミーの自室の天井に貼っていたというのだ。寝る時にはおのずと目に入る位置に賞状があったため、時には「クソッ」と呟いた。そして起床すると、その賞状を見ながら「よし、今日も頑張るぞ」と気持ちを奮い立たせた。

2015年全日本選手権の表彰式。左が須崎で真ん中が入江(写真:アフロスポーツ)

過熱する、宿敵・入江ゆきとの代表争い

アカデミーで鍛えられたおかげで、須崎は翌2016年に開催された国内の2大選手権──全日本選抜選手権と全日本選手権でそれぞれ初優勝を果たす。前者の決勝では宿敵の入江を7-3で破っての優勝だった。
全日本選抜で初優勝した時点で須崎は弱冠16歳。史上最年少タイでの優勝だったが、須崎本人にその実感はさほどなかった。
「自分自身はあまり気にしていなくて、一勝一勝を確実に取る気持ちで試合に臨みました」
むしろ宿敵を撃破したことの方が収穫だった。「去年の全日本選手権では何もできないまま負けた相手に今回は勝つことができた。コーチと監督の支えがあっての優勝だと思います」

リオデジャネイロ・オリンピックを直前に控えての大会だったが、すでにリオの代表は登坂絵莉に決定していた。須崎の視線は、4年後の東京オリンピックに向けられていた。

「オリンピックに出場するためには(これから)さらに厳しい闘いになると思いますが、『絶対に自分が出場してメダルを獲るんだ』という気持ちで頑張りたいと思います」
リオでは登坂が金メダルを獲得。東京大会に向けて本来ならば三つ巴になってもおかしくなかったが、ケガが原因で登坂はベストパフォーマンスができない状況が続いた。その結果、最軽量級は須崎と入江による激しいデッドヒートがくり広げられた。須崎は翌2017年の全日本選抜も制し、18歳で世界選手権初出場・初優勝を成し遂げる。高校生での優勝は、まだ女子レスリングが五輪種目になっていない、2002年の伊調馨以来の快挙だった。

高校生の時に世界選手権初出場・初優勝を成し遂げた(写真:ロイター アフロ)

同年12月、須崎は世界チャンピオンとして全日本選手権に凱旋する。しかし、準決勝で入江に0-10のテクニカルフォールで敗れるという番狂わせを演じてしまう。
この時点では日本チャンピオンの方が世界チャンピオンより強かったということになる。勝負は強い者が勝つ世界だから、矛盾しているようで矛盾していない。須崎と入江のライバルストーリーに五輪金メダリストの登坂が絡んできたら、代表争いはさらに激しいものになることは想像に難くなかった。階級によっては極端に選手層が厚い日本女子レスリングでは、国際大会より国内大会で優勝するほうが難しいこともあるからだ。

その後も両者の代表争いは過熱するばかりだった。2018年は全日本選抜とともに世界選手権代表決定プレーオフを制した須崎が、2年連続世界選手権に出場して2連覇を果たした。2年連続世界一になったことで、東京オリンピック出場は須崎が大きくリードしたかに見えた。ところが2018年12月の全日本選手権で須崎はエントリーしていながら棄権してしまう。大会直前に参加した強化合宿で左ヒジを脱臼、ならびにじん帯も断裂し全治8週間の診断が下ったからだ。世界チャンピオン不在の全日本選手権で入江は発奮。準決勝では登坂を破り、2年連続優勝を果たす。そして翌2019年のプレーオフでは入江が須崎を6-1のスコアで突き放し、世界選手権初出場を決めた。
この世界選手権でメダルを獲得すれば、入江は東京オリンピックに出場することができる。この時点で須崎が東京オリンピックへ出場する可能性は限りなくゼロに近かった。

2019年世界選手権代表選考プレーオフでは入江が代表に決定した(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

五輪出場の可能性はゼロに近かったが奇跡が起きる

それでも、プレーオフで敗れた帰路、アカデミーに来てからずっと須崎を指導してきた吉村祥子コーチはこう元気づけた。
「0.01パーセントでも可能性があるなら、一緒に頑張ってみよう」
この励ましによって、失意の須崎は「0.01パーセントでも可能性があるなら、一日一日を精いっぱい生きよう」と考えを改めたという。

そして、奇跡が起こり勝負は振り出しに戻った。世界選手権に出場した入江がまさかの3回戦敗退で、自身の五輪への出場切符をもぎとるどころか日本の出場枠すら勝ち取ることができなかったのだ。

2019年の全日本選手権決勝で須崎は入江を2-1の僅差で下して優勝するとともに、東京オリンピック出場枠を獲るためのアジア予選に出場する切符を手にした。同予選で決勝に進出すれば、東京オリンピック代表に決定する。

2019年の全日本選手権決勝では須崎が優勝した(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

その後、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックは翌年に延期となり、2020年3月に予定されていたアジア予選も1年延期となった。昨年末になって同予選は2021年3月末の中国・西安開催から4月9日~11日・カザフスタン・アルマトイ開催に変更された(2021年3月初旬現在)。
一昨年の全日本選手権以来、須崎は実戦のマットに上がっていない。じっとアジア予選に向けての調整を続けている。子供の頃からの「オリンピックで金メダルを」という夢を実現するために。試練を与え続けた勝利の女神は微笑んでくれるのか。

(文=布施鋼治)

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