オリンピックおじさんの意志を受け継ぐ13歳。「応援と出場」を目指す五輪への想い

2020/11/30 10:11

山田藏之輔くん(右)は祖父・直稔さんは周囲を明かるくする人だったと振り返る(左は父)

1964年の東京五輪から2016年のリオ五輪まで、夏季五輪14大会と長野冬季五輪を現地で観戦し、選手を応援し続けたオリンピックおじさんこと、山田直稔さん。東京五輪を観戦することなく2019年に亡くなった。偉大なる祖父の「応援」にかける想いを受け継いだのは孫の藏之輔くん。体操選手としても将来有望な彼は「応援と出場」五輪で二つの夢を追いかけている。

■五輪のスーパーファン

五輪組織委員会が制作した東京2020大会のステートメントムービーに、ひときわ目を引く少年が映っている。

テニスの大坂なおみ選手のナレーションで動画が進む中、カメラが開会間近の会場に入っていく。すると、日の丸の描かれた金色の扇子とシルクハットを身につけた羽織袴を着た少年が、立ち上がって選手を応援しているのが見える。ほんの一瞬だが、とても印象に残る姿だ。この少年は山田藏之輔くん。2代目の「国際オリンピック応援団長」だ。

先代は祖父の山田直稔さん。1964年の東京五輪から2016年のリオ五輪まで、夏季五輪14大会と長野冬季五輪を現地で観戦し、選手を応援し続けた。その派手ないでたちから、直稔さんは五輪の名物的存在となり、海外でも"Uncle Olympics"(オリンピックおじさん)と呼ばれ親しまれた。

五輪組織委員会の動画で藏之輔くんが着用しているシルクハットや扇子は、この祖父から受け継いだものである。

祖父から受け継いだ三種の神器(ハット・ユニフォーム・扇子)を掲げる山田藏之輔くん

直稔さんは2回目の東京五輪を見ることなく、2019年3月9日に92歳で亡くなった。そのニュースは世界中で報じられ、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長からも、「オリンピックおじさんの死は悲しい知らせだ」「真のスーパーファンだった」「彼がいないことをみんな寂しく思うだろう」と公式ツイッターで哀悼の意を表された。
遺品には数々の五輪関連のグッズがあり、アテネ五輪で聖火ランナーを務めた際のトーチも大切に保管されていた。観戦した五輪の開催地を記した愛用の扇子には、すでに「東京」の文字が刻まれていた。東京2020大会が何よりも楽しみだったのは間違いない。
藏之輔くんが2代目に名乗りを上げたのは、直稔さんの葬儀の席だった。

祖父・直稔さんがアテネ五輪の聖火ランナーを務めた際のトーチ

■2代目になった理由

「僕が応援団長の跡を継ぎます!」

そう宣言すると、集まった親族からは拍手が起こった。「おじいちゃんが亡くなるとは思っていなかったし、自分が(団長を)引き継ぐなんて考えたこともなかった」と藏之輔くんは振り返る。

13歳の孫は「応援団長」の活動を詳しく知っていたわけではなかった。しかし、いつも笑顔で明るい直稔さんのことは大好きだった。藏之輔くんの運動会にもおなじみの姿で応援に駆けつけ、学校でもちょっとした有名人となっていた。東京2020大会も一緒に見に行く約束をしていた。

「でも、亡くなった顔を見たときに、ここで終わらせたら、おじいちゃんがかわいそうだと思った」

直稔さんは五輪の関係者ではなく、本業は工業用ワイヤーロープなどを手掛ける「浪速商事」の会長。当然、世界中を飛び回る費用はすべて自腹だった。しかも、熱心に応援していたのは五輪だけではない。

2013年東京五輪招致のイベントに出席した直稔さん(左)と松岡修造氏(右)(写真:アフロスポーツ)

相撲や野球の大ファンとしても知られ、長嶋茂雄やイチロー、白鵬といった著名人とも親交があった。「もし、私がこの応援に没頭していなかったら、会社は今の何倍にも成長・発展していたでしょう」と生前に語っていたほど、直稔さんはスポーツの応援にエネルギーを注ぎ込んだ。

外国語がほとんど話せないにもかかわらず、身振り手振りでコミュニケーションをとり、どんな国の人とでも、その場で仲良くなってしまう不思議な魅力を持っていた。藏之輔くんにも常々、「言葉など無用であり、笑顔がすべてだ」と話していた。

よく勘違いされるが、直稔さんは日本選手だけを応援していたわけではない。政治的理由から日本が不参加だったモスクワ五輪にまで足を運んでいるのである。開会式では赤いソ連の旗と五輪の旗を持って、「ミルユードルジバ(平和と友好)」と大声で叫んだ。著書でも「オリンピック全体を応援している」と書いている。(山田直稔・著『愛と笑顔が人類を救う』KKベストセラーズ刊)

直稔さんがスポーツ、特に五輪の応援に熱心だった理由は、戦争体験にある。

2004年アテネ五輪を観戦(写真:アフロ)

■五輪の応援は「使命」だった

戦争経験者である直稔さんは、五輪を「聖なる休戦」と呼んでいた。モスクワ大会の応援に行ったのも、そのような理念があるのに、「なぜ政治に振り回されなければならないのか」と憤慨したからだった。直稔さんにとって五輪とは「世界人類の平和と友好」を訴える場であり、その実現のために奔走することを自身の「使命」と考えていた。

「自分にできるかどうかは分からないけど、僕もおじいちゃんみたいに応援して、周りの人を笑顔にしたい」と藏之輔くんは語る。ただ、実は彼には、もう一つ五輪への道がある。

■体操選手としても将来有望

藏之輔くんは4歳から体操を始め、現在は田中佑典、加藤凌平といった有名選手も所属するコナミスポーツの体操スクール「体操競技部選抜クラス」で、日々トレーニングに励んでいる。得意種目はあん馬とゆか。小学6年生のときには埼玉県のジュニア大会で個人総合と団体の2冠に輝いた。

2代目の応援団長としてやってみたいことを聞いても、「憧れの内村航平選手にインタビューしてみたい。それから萱和磨選手にも。特に萱選手は僕と同じあん馬が得意種目なので、どうしたらもっとうまくなれるのか聞いてみたい」と真っ先に答えるほど、体操にのめり込んでいる。

「夢は五輪出場。教えることも好きなので、指導者にもなってみたい」

8年後の五輪では21歳であり、この夢も現実味を帯びる。応援団長としてだけでなく、選手としても十分、参加できる可能性がある。

■コロナ禍を超えて大会開催を望む

新型コロナウイルスの影響により、東京2020大会は中止、無観客などの可能性が取り沙汰されているが、藏之輔くんは「中止には絶対になってほしくない」と言う。

「選手は必死にやってきて、延期が決まったときも、みんな気持ちを切り替えて頑張ってきた。これで中止になったら本当にかわいそう」

近くで選手たちの奮闘を見ているからこそ、大会の実現を望む。取材の最後、直稔さんのパネルと一緒に、藏之輔くんと、その父親であり、次男・山田將貴(まさたか)さんによる「親子三代」の記念写真をお願いした。

「父は応援のためにとても手間とお金をかけていた。オリジナルの応援歌をプロの作曲家に作ってもらう。開催国の言葉でパンフレットを作る。観客に渡すお土産や小旗を発注するなど、いつも大変な作業をしていた。この日の丸の国旗も、大会のたびに持っていき、会期が終わる頃にはいろんな人のサインでいっぱいになっていた」

親子三代で囲む大きな日の丸の国旗は、まだ白いままだ。来年の夏には藏之輔くんが祖父から引き継いだ「笑顔の交流」により、この旗をサインで埋め尽くすだろう。
ちなみに、もし藏之輔くんが将来五輪に出場することになったら、誰が応援団長を引き継ぐのか。そう尋ねると、將貴さんは「そのときは家族みんなで応援しますよ」と少し照れくさそうに語ってくれた。

取材・文:小山田裕哉・写真:伊藤 圭

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