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師弟コンビを組む土江寛裕コーチが語る桐生祥秀の素顔 「感覚派」と「理論派」の衝突が生み出した新しい関係性

2020/10/1 13:30

(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

日本人選手による初の男子100m9秒台を記録した桐生祥秀。その走りを一緒に作り上げているのは、師弟コンビを組んで7年目となる土江寛裕コーチ(東洋大学陸上競技部短距離部門コーチ)だ。
「感覚派」と「理論派」。相反する性格を持った二人は、どのようにしてここまでやってきたのか。
来夏へ延期された東京五輪で輝くことを目指して進む二人のこれまでを、土江コーチの言葉で辿る。

4年目の秋を迎えた2017年9月に、桐生は日本陸上界の悲願だった男子100m9秒台を達成する9秒98の日本新記録を樹立。二人三脚で進む視線は来夏へ延期された東京五輪へと向けられているが、出会った直後はどちらかといえば"衝突"か、あるいは"すれ違い"の方が多かった。

例えば2014年の春。日本歴代2位(当時)となる10秒01を引っさげて京都・洛南高から東洋大学へ入学した桐生と、同大学の法学部准教授(現教授)に就任し、陸上部短距離部門の指導を始めた直後の土江コーチは、公の場で人目をはばからずに口角泡を飛ばし合っている。

「なぜ僕を9秒台で走らせると、コーチは言わないんですか?」
「根拠がないからだ」
「ある指導者は僕を9秒台で走らせると言うのに、コーチが言わないのは自信がないからだ!」

土江コーチが記憶を紐解きながら桐生との衝突を振り返ってくれたのは、日本人初の9秒台スプリンターになった直後だった。

「桐生は『ど』がつくほど素直なんです。表裏がまったくないから、表情や態度に思っていることがそのまま出る。その意味では、あの時に桐生が出した態度や言葉は、実際にそう感じさせる指導しか僕がしていなかったからだと思いました。ボコボコにぶん殴られたような気持ちになりました」

桐生の心中を察したものの、指導者として絶対に譲れない一線もあった。洛南高3年だった2013年4月の織田記念で桐生が出した10秒01を、土江コーチも高く評価していた。だからといってすぐに未知の世界へ突入できるほど100mは甘くはないと、理論派を自負する土江コーチは考えていた。

2013年、織田幹雄記念国際陸上で10秒01という記録を出した(写真:アフロスポーツ)

「桐生はパッションで走るタイプなんです。織田の時は冬場の練習がすごく順調で、力試しができるというワクワク感があり、風を含めた条件も良かった中でポンと出ちゃった感じなんですね。ただ、当時はベースが10秒0台ではなく10秒1台の選手でした。10秒1台の高校生は過去に桐生しかいないし、それだけで十分にすごい選手なんですけれど、一気に9秒台となると難しい。常に10秒0台で走れる実力がつき、いろいろな条件が整った時に初めて出せると考えていたので」

試行錯誤がくり返された末に、二人の理想的な関係を自動車教習所における生徒と教員に求めた。きっかけは2015年3月に追い風参考(3.3m)のもとでマークした9秒87と、直後に右太もも裏に負った肉離れで長期離脱を強いられ、北京世界陸上出場を断念したことだった。

「1年生の冬は僕が組んだメニューで練習しました。なので、僕にとっては9秒87は自信になりましたが、桐生は『冬の練習で何をしたのか全く覚えていない』と言うんですよ。車に例えれば僕が運転席でハンドルを握って、後部座席に桐生を乗せていた感じですね。どんな表情をしているかが僕にはわからないし、僕に言われるまま目的地に連れて行かれる桐生にも何の印象も残らない感じで」

「僕の好きなように練習させてください」という直訴から生まれた新たな関係性

土江寛裕コーチ(右)は桐生の性格を把握しながら関係性を深めていった(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

練習ができるまでに回復した2015年夏場。ナショナルチームに名前を連ねる土江コーチが、北京世界陸上で東洋大を留守にする間の練習メニューを話し合った時だった。ひたすら走り込みたいと考えていた桐生は、意を決したように「僕の好きなように練習させてください」と直訴した。

「科学的という言葉とはまったくかけ離れた、根性練習みたいなものも桐生は好きなんです。しかも、自分で決めたからには絶対にやり通す。少々間違えた練習でも本人が強く希望し、必ず速くなると信じて取り組めば身になりますよね。僕が現役の時も、いろいろな人の意見を参考にしながら、自分でメニューを組み立てていた時の方が結果を出せていたので」

五輪に2度、世界陸上に3度出場し、100mで10秒21の自己ベストを持つ土江コーチは桐生の直訴を受け入れた。だからといって、まったく干渉しないわけにはいかない。感覚派を自任し、細かく言われることを嫌がる桐生の性格を逆に生かそうと考えた末に自動車教習所を思いついた。

「基本的には桐生がやりたいように、練習メニューも選ばせました。要は桐生がハンドルを握り、その上で僕が補助ブレーキの付いている助手席に座って、そっちじゃないよとか、あるいはそこを曲がった方がいいんじゃないか、といった感じでアドバイスを送る形ですね」

男子4×100mリレーで銀メダルを獲得した、リオデジャネイロ五輪を直前に控えた2016年6月。わずか1週間で10秒0台を2度マークした桐生は、そのひとつで10秒01と3年ぶりとなる自己ベストタイを出した。目指していた領域へアベレージが上がってきた――大きな手応えをつかんだ土江コーチは、さらに地力をつけるために、冬場の練習でユニークなメニューを2つ提案した。

リオ五輪では男子4×100mリレーで銀メダルを獲得(写真:ロイター/アフロ)

1つがハンマー投げの五輪金メダリスト、室伏広治氏に師事して体幹を徹底的に鍛えること。もう1つがボクシングの練習に参加して、ひたすら左右のパンチをくり出すことだった。

「例えるならミシンのようにダン、ダン、ダンと縦に踏んでいく走りが桐生の特徴ですけど、僕としてはもうちょっとだけ前方向にも幅を持たせたかった。陸上のトレーニングにはドリルと呼ばれる、地味な動き作りがあるんですけど、桐生はそういう練習を好まない。そこで考えたのがボクシングです。空手をやっていた父親の影響もあって、桐生は格闘技系が大好きなので」
足から腰、上半身、腕を連動させながら左右のパンチを打ち続けるボクシングの練習は、骨盤を左右交互に前方へ出し、ストライドをちょっとだけ伸ばす動きを体に覚え込ませる上で極めて理にかなっていた。格闘技ファンだからこそ、3分単位で動き続けるハードな練習にも夢中になれた。

ボクシングのメニューを提案された桐生は、迷うことなく「やります!」と応えている。真っ赤なパッションをいかにして練習へ向けさせるか。桐生の性格をも熟知した土江コーチとの二人三脚で3度目の冬を越え、迎えた4度目の春。桐生は国内外のレースで10秒0台を連発する。

「明らかに走りの次元が違っていた。9秒台を簡単に出せると、あの時は思いました」

惨敗を喫した直後に9秒98。「正直、なぜ9秒98が出たのかがわからなくて」

しかし、桐生は2017年6月の日本選手権決勝で一敗地にまみれる。10秒0台の自己ベストを持つ精鋭が5人も顔をそろえた大一番で、サニブラウン・アブデルハキーム、多田修平、ケンブリッジ飛鳥の後塵を拝する4位に終わった。

日本選手権男子ではタイムは10秒26に終わった(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

土江コーチは頂上決戦で喫した敗因を「自滅でした」とメンタル面に求めていた。

「桐生が10秒2台なんてことはあり得ないんです。いつも通り走ればという発想ではなく、勝ちたいという気持ちが、いつもと違うことをさせてしまったというか......ナショナルチームのコーチの立場でこう言ってはいけないんですけど、僕は桐生が一番強いと思っているので」

こう語った土江コーチは、スタートラインの後方からレース直前の桐生の背中が撮られた一枚の写真をふと思い出した。約100m先にあるゴールラインの向こう側には、カメラマンが構える無数の望遠レンズが並んでいた。高校生の時から日本人初の偉業達成を期待され、ライバルだけでなく、計り知れないほど大きなプレッシャーとも戦ってきた。

打ちひしがれる桐生に「大変だったね......」と声をかけた土江コーチは、その後の桐生を「パッション切れの状態がずっと続いていました」と振り返っている。

「練習は全然できませんでした。できないというか、練習しろと言ったところで無理ですから。桐生は『やらなきゃ』では動けない。心の底から『やりたい』と思わないと」

だからこそ、9月9日に行われた、日本学生陸上競技対校選手権の男子100m決勝は土江コーチを驚かせた。得意とする中盤からの加速を蘇らせ、先行する多田を瞬く間に追い抜いた桐生がゴールを駆け抜ける。追い風1.8mの絶好のコンディションの中、速報表示の9秒99が正式タイムの9秒98に変わった瞬間の偽らざる心境を、土江コーチはこう明かしている。

「正直、なぜ9秒98が出たのかがわからなくて。パッションが切れたまま、練習に身が入る時もあれば、入らない時もある状態をくり返しながら9月まで来ていたので」

ただ、日本学生陸上競技対校選手権は東洋大のユニフォームで走る最後のレースだった。土江コーチをはじめとする周囲へ、恩返しがしたい思いが桐生の心の火を灯したのか。伊東浩司が持っていた日本記録10秒00を19年ぶりに更新し、日本陸上界の歴史を塗り替えて喜びを爆発させている桐生の姿を見ながら、気がついた時には土江コーチの涙腺は決壊しかけていた。

「僕はよく泣いちゃうので......桐生はいい時と悪い時の振り幅がすごく大きいというか、本当にドラマチックな選手で。最後の最後で出してくれたことが本当にうれしかったし、(日本選手権での)たった一度の負けで桐生がダメな選手になるわけではないと、僕自身もずっと信じていたので」

「勝負どころで桐生の走りができるかどうか」自国開催のヒノキ舞台へ

2020年セイコーゴールデンGP東京・男子100mでは優勝した(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

スプリンターの育成で名を馳せる洛南高の名将、柴田博之監督のもとで築き上げられた桐生のベースを確認するために何度も京都を訪ね、高校時代から継続してきたことに独自の工夫を融合させてきた土江コーチとの二人三脚は桐生が東洋大を卒業し、日本生命の所属となった2018年春以降も継続されている。

陸上部のない日本生命で、実質的なプロになった理由はただひとつ。東洋大学の川越キャンパス内に誕生したインドアのトラックを練習拠点として、土江コーチと出会った時から目標として共有してきた五輪のファイナリスト、そしてメダル獲りを東京の舞台で具現化させる思いを新たにしたからだ。

「桐生という選手と対峙する、一日一日の練習が真剣勝負みたいな感じでした。どのようにしたら、アイツのパッションがトレーニングにちゃんと向けられるのか。そうしたあつらえを、こちらがしっかり準備できるのか、という勝負ですね」

9秒98を出すまでの実に1300日近い日々をこう振り返った土江コーチは、さらに追い求めていく未来像をこう言及していた。

「次のステップは、勝負どころで桐生の走りができるかどうか。パッション切れでも9秒台が出たことによって、10秒0台あるいは9秒9台がベースになれば、五輪や世界陸上の予選、準決勝をある程度余裕を持って通過できる形を狙っていける。世界と戦えるという自信を持ちながら、スタートラインに立っていく。その積み重ねで『負けない桐生』ができてくると思うので」

日本記録は昨6月に9秒97をマークしたサニブラウンが塗り替え、同7月には同じ1995年生まれの小池祐貴も9秒98を出した。日本陸上短距離界に訪れた空前の活況を導く先駆者になった桐生は焦ることなく、日本陸上競技連盟の男子短距離オリンピック強化コーチも務める土江コーチとの絆をより深めながら、自国開催のヒノキ舞台へとつながる道を突っ走っていく。

(文・藤江直人)

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