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金メダルを見据え、プラス1年で更なる加速を遂げる「両足義足の鉄人」藤田征樹

2020/8/21 9:04

リオパラリンピックに出場した藤田征樹(写真:アフロスポーツ)

漆黒の義足で愛車にまたがり、自転車と一体となって1000分の1秒の世界で勝負する。限界に挑むその姿勢は健常者のトップ選手に負けずとも劣らない。日本で初めて競技用義足を使用してパラリンピックでメダルを獲得した藤田征樹(ふじた・まさき)は、これまでどんなときも決して足を止めることなく、ペダルを回し続けてきた。

世界のトップ争いが激しさを増す中、2016年のリオパラリンピックで3大会連続メダルという偉業を達成。東京2020パラリンピックでは、まだ唯一手にしていない金メダルを獲りに行くはずだった。だが、その大会が1年延期になり、4年に一度の大舞台へ向けて綿密周到だった計画も修正を余儀なくされた。出場枠を争うレースの再開を待ち、1年後の決戦に備える藤田は「残りのレースで活躍し、本番を楽しみにしてもらえるような準備をしていきたい」と前向きに語る。そんな"両足義足の鉄人"が歩んできた道のりと素顔をこれまでのエピソードから探る。

子どもの頃から覗かせていたストイックな一面

日本最北端として知られる北海道稚内市で、3人兄弟の長男として生まれ育った。周囲の人たちは藤田を「頑固」と形容する。ときにストイックに立ち振る舞い、競技中に笑顔は見せない。その片鱗を幼いころから覗かせていたようで、3歳年下の弟・悠介さんは兄についてこう語る。

「兄は他人にも自分にも厳しい人。子どものときは、今よりさらに堅かったというか......とにかく怖い存在でしたね(笑)」

小学生時代にスピードスケートに取り組み、中学高校で陸上部に所属していた藤田は、一度やると決めたら貫くタイプ。

悠介さんは冗談めかして笑いながら高校時代のこんなエピソードを明かす。
「タバコの煙が嫌いで父の喫煙について猛反発していたのが思い出されますね。ケンカの末、父が兄の意向を受け入れ、それ以来、家の中でタバコを吸うことはなかったですよ。兄の頑固で最後まで意見を譲らないところがアスリートっぽいなと思いました」

膝下切断の半年後にはレース挑戦を決意

その後、北海道から離れ、神奈川の東海大に進学した藤田は、機械工学を学ぶ傍らトライアスロンのサークルに入った。だが、大学2年のとき、交通事故に遭い、両足を損傷。膝から下を切断する大けがを負った。それでも約半年後、復学を果たした不屈の男は、ある決意をする。両足義足でのトライアスロンレース挑戦である。

その無謀にも思える挑戦を応援した一人が、現在も藤田の自転車競技用義足を担当する義肢装具士の齋藤拓さん(当時:鉄道弘済会・義肢装具サポートセンター、現:アイムス勤務)。ランニング、スイムの2種類の競技用義足を製作し、自転車にも日常用義足を取り付け、けがから1年10か月後、関東学生トライアスロン選手権で藤田が初めて完走した姿を見届けた。

「自分が立てた目標を最後まできちんとやる。当時から藤田くんは責任感が人一倍強いですね」

北京パラリンピックの悔しさをバネに手に入れた世界王者の称号

19歳の藤田を知る齋藤さんは、その後、大学院1年でパラサイクリングデビューした藤田の自転車用義足も手掛けるようになった。

何も分からないところからスタートしたゆえ、無我夢中でたどり着いた初出場の北京パラリンピックは彼らにとって忘れられない大会だ。世界でも珍しい両足義足の藤田はパラサイクリングの世界で存在感を示しただけでなく、トラックとロードで計3個のメダルを獲得する快挙を達成した。

当時、1kmタイムトライアルで金メダルに届かず、うつむき沈んでいた藤田の姿が脳裏に焼きついている。ミックスゾーンにいても、いかに悔しかったかひしひしと伝わってきたからだ。

北京パラリンピック 個人タイムトライアルでは銅メダルを獲得(写真:アフロスポーツ)

この悔しさが次への大きなエネルギーになったのは想像に難くない。現在も日本のエースとしてトップシーンを走り続ける藤田は、2009年のトラック世界選手権でチャンピオンの座に就くと、ロードに軸足を移していき、ロンドンパラリンピックではロード・タイムトライアルで銅メダルを獲得。その後、2014年からパラサイクリングの日本チームに加わった工学博士の柿木克之(かきのき・かつゆき)さんとともに練習を見直し、効率よくスピードを出し続ける能力を高めていった。こうして迎えた2015年のロード世界選手権のロードレースでは独走態勢を築き、見事6年ぶりとなる世界チャンピオンの称号を手に入れた。

そんな藤田の姿は、弟・悠介さんの人生をも方向づけた。専門学校で学んだあと、2009年にスポーツ義足における日本の第一人者である臼井二美男さんのいる鉄道弘済会・義肢装具サポートセンターに入会。齋藤さんの後輩として、藤田の自転車用義足が足部にパイプをつないだ形状から、継ぎ目がなく力が伝わりやすい現在の形に進化していく工程も間近で見ていた。

義肢装具士と共にプレッシャーに打ち勝ったリオパラリンピック

そして、2016年のリオパラリンピック。藤田は日本で待つ家族や支える人たちに、ロードの銀メダル獲得という吉報を届けた。

リオパラリンピックではプレッシャーに打ち勝った(写真:アフロスポーツ)

「毎回『もうこれ以上いい義足は作れない』と思って送り出します。それでも大会の後は、次の勝負に向けてもっといいのを作ろうと義肢装具士なりに提案し、試行錯誤していく。人の体の一部を作る義足づくりはプレッシャーもかかります。だから、メダルの知らせはここまで大変だったことも、全てがいい思い出になる瞬間でした」

東京パラリンピックに向けて、「プラス1年分」の改良に使命感を燃やす、齋藤さんはそんな藤田の強さをこう考える。

「世界の強者たちがメダルを懸けて極限まで自分を追い込むパラリンピック。ベストを出さなければメダルは獲れない状況で、藤田くんはきちんと結果を出す。4年のうちのたった1日に向けて準備ができる、勝負強い選手なのだなと改めて実感しました」

筆者もリオでプレッシャーに打ち勝った藤田の充実感溢れる笑顔を見た。あれから4年が経とうとしている。

1年後の金メダルを見据え漕ぎ続けるペダル

4大会連続メダルが期待される藤田は、自国開催の東京パラリンピックを前に、義足の改良はもちろんのこと、マシンジムでの筋トレを積極的に取り入れパワーアップに励むなどの準備を淡々と進めていた。

リオ大会の日本代表メダリスト合同パレードで(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

2018年に左前腕を骨折する「競技生活の中で一番大変なけが」を経験したが、競技への情熱を失うことはなく、半年後にレース復帰。2019年4月に地元・稚内の企業へと移籍し、拠点である茨城でのトレーニングに加え、北海道でのロード練習も増やした。自転車選手として新たなステージに上がる道半ばだったに違いない。そんな中、3月24日に東京オリンピック・パラリンピックの延期が決定。6月まで続くはずだったパラリンピック予選も中断された。

「延期になったことは、少し驚きました。ただ、報道に注視しながら過ごす中で、ひょっとしたら......という心づもりでいたので、自分の中で延期決定の動揺は小さかった。誰もが安心して大会に携われることが一番だし、延期は仕方ないと思っています。だから、すぐに計画の目標を1年後に切り替えることができました。」

新型コロナウイルスの影響を受け、県をまたぐ移動や外出が制限されていた時期は、屋内で実際にバイクを漕ぐローラートレーニングを中心にトレーニングを継続させた。

「ローラーだけでは景色も変わらず、風も感じられないので、この機会にヴァーチャル空間を走るオンラインサイクリングを取り入れたりして、楽しんで練習していました」

8月上旬には実業団のトラックレースに出場し、競技の楽しさを感じたという藤田。あとは、パラサイクリングのレース再開を願うばかりだ。

東京パラリンピックが延期になっても、金メダルを獲りに行く強い覚悟に揺らぎはない。来年、36歳。4大会連続メダルの期待がかかる中、それでもまずは出場枠を勝ち取ることを目標に据える。淡々と、着々と。今この瞬間も、藤田征樹は頂点を目指してペダルを漕ぎ続けている。

(文・瀬長あすか)

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