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「東京五輪で金」目標は変わらず 無名から世界王者になった最強のクライマー・楢崎智亜 

2020/6/10 8:40

スポーツクライミング・男子代表内定の楢崎智亜(写真:西村尚己 アフロスポーツ)

東京2020でオリンピック初採用の種目となったスポーツクライミングで、最も金メダルに近い日本人選手がいる。男子代表内定の楢崎智亜(ならさき・ともあ)だ。楢崎は昨年、代表内定の選考大会でもあった世界選手権でボルダリングとコンバインド(複合)の2種目で金メダルを獲得。さらにボルダリングワールドカップ(BWC)の年間総合優勝にも輝き、「取りたいタイトルをすべて取ることができた」とまさに完璧なシーズンを送った。世界王者3冠を勝ち取った楢崎は間違いなく現在最強のクライマーと言える。そんな楢崎のここまでの道のりと素顔に迫る。

10歳の頃に出会ったクライミング

楢崎は世界のクライマーからしばしば"ニンジャ"という異名で呼ばれる。それは単に日本人だからということだけでなく、登りのスタイルにも由来している。楢崎自身も"智亜スタイル"と称するその登りはダイナミックで見る者を圧倒する。

楢崎の代名詞である"ランジ"という技がある。距離の離れたホールドからホールドへ飛びつく大技だ。楢崎はバネのようにしなやかな全身を生かして爆発的な瞬発力を生み、強靭な体幹と高いコーディネーション能力で大技のランジをいとも簡単に決めてしまう。その軽やかな姿はまさに忍者だ。

楢崎の登りはダイナミックで見る者を圧倒する(写真:長田洋平 アフロスポーツ)

楢崎は栃木県・宇都宮市に生まれ、3兄弟の次男として育った。幼稚園から小学4年生まで器械体操を習い、現在の高い身体能力とバランス感覚のベースはそのときに育まれた。一方で、小学校では運動神経抜群ながらサッカーやバスケなど、競争の激しいスポーツには馴染めなかったという。そんな楢崎少年がスポーツクライミングと出会ったのは、兄が通う近所のクライミングジムについて行った10歳の頃だった。初めてながらクライミングの壁を自在に登っていく楢崎は、壁の中に自由を感じ、自分だけの世界を見つけた。これをきっかけにクライミングの魅力にハマり、クライマーの道を歩み始めたのだ。

2016年、無名から世界王者に成り上がった

楢崎が一躍、時の人となったのが2016年。当時19歳の楢崎はBWC第3戦・重慶大会で初優勝すると、続けて4大会連続で銀メダルを獲得。BWC最終戦のミュンヘン大会で2度目の優勝を飾り、初の年間総合優勝に輝いた。さらに同年の世界選手権でもボルダリングで金メダルを獲得し、楢崎は世界王者2冠を達成した。このとき楢崎はまだ国内大会すら優勝したことがなく、わずかな期間で一気にトップクライマーへの仲間入りを果たしたと言える。

2016年クライミング世界選手権で金メダルを獲得した(写真:Rodrigo Reyes Marin アフロ)

高校を卒業した2015年からプロクライマーのキャリアをスタートさせた楢崎は、自慢の身体能力を生かした野性的な登りにこだわってきた。「テクニックよりも自分らしく自由で軽やかに登って勝つことが一番格好良い」と信じ、人からどう見られるかを重視していた。しかしプロ初年度は前年のBWC年間26位から30位へと転落し、まったく振るわなかった。

プロとして結果を渇望する楢崎をある人の言葉が動かした。「格好つけて予選で負けるより、泥臭くても勝ったほうが格好良い」。女子クライマーのパイオニア、野口啓代(あきよ)の言葉だった。それから楢崎は嫌悪していたテクニックに磨きをかけ、泥臭くも確実に予選や準決勝で勝つスタイルに変わっていった。それがハマったのが2016年の2冠だった。

世界王者というプレッシャーと戦った2017年

2017年を世界王者として迎えた楢崎。五輪の新種目に追加されたことも後押しし、弟・明智(めいち)とともに"イケメンクライマーの楢崎兄弟"としても世間からの注目を一気に浴びた。メディアで取り上げられることが増え、その分、プレッシャーもこれまでとは比較にならないほど大きくなっていった。

弟の楢崎明智(左)とともに注目された(写真:長田洋平 アフロスポーツ)

1月のボルダリングジャパンカップの準決勝で敗退すると、BWC初戦・マイリンゲン大会で予選落ちし、続けざまに周囲の期待を裏切る結果となった。その後は3戦連続で銀メダルを獲得して立て直しに成功。しかし、年間総合優勝の座は韓国のチョン・ジョンウォンに明け渡した。

初めて追われる立場でのシーズンを経験した楢崎は、勝って当たり前というプレッシャーの中で戦うことの難しさを痛感した。それと同時に「ずっと目標にしてきた年間優勝と世界選手権の金メダルという二つを達成してしまって、正直、気が抜けてしまう大会もあった」と、モチベーションの維持にも苦労した。若くしてあまりに大きなタイトルを同シーズンに二つも獲得した後では無理もなかった。

新たに手にした「スピード」という武器

翌2018年は再び世界選手権イヤーとなり、楢崎は前回大会を「実力というより、勢いで勝てた大会だった」と振り返った。今度は実力で世界一になる。それが楢崎の思いだった。そしてこのシーズンから五輪フォーマットであるコンバインド種目が本格的に導入された。

五輪のために新設されたコンバインドは「ボルダリング」「リード」「スピード」という3種目の複合だ。各種目の順位を掛け算した数字をその選手のポイントとし、ポイントの最も少ない選手が優勝となる。その最初の実戦となる第1回コンバインドジャパンカップ(CJC)で、楢崎は新たな武器である「スピード」で力を遺憾なく発揮した。

CJC決勝の第1種目・スピードで楢崎は日本記録更新となる6.87秒で1位を獲得。最も得意とする第2種目・ボルダリングでの4位という取りこぼしをカバーした。最終種目・リードで1位となり、総合4ポイントで初代王者となったのだ。

2020年スピードジャパンカップでは2位を記録した(写真:森田直樹 アフロスポーツ)

メダルゼロで終わった世界選手権。自信は粉々に

楢崎はこれまでボルダリングをメインとして活動してきた。リードはそれほど得意とせず、スピードはほぼ未経験だった。東京2020に出場するために3種目を満遍なくトレーニングする必要に迫られ、未経験のスピードにも取り組んできた。そのスピードが楢崎の持つポテンシャルに非常にマッチしていたのだ。

"智亜スキップ"という独自のスタートムーブも編み出し、15メートルの壁を素早く駆け上がっていく忍者・楢崎はまさに水を得た魚だった。右肩上がりにタイムを上げ、CJCの実戦でも結果を残した。楢崎は得意なスピードとボルダリングで上位を狙う"先行逃げ切り"の戦略に自信を持って世界選手権へと臨んだ。

メンツを見ても楢崎の1位はかなり高い確率だった。しかし、決勝のスピードでフライングをして6人中6位。ワンミスで最下位となり、この種目の怖さを世界選手権の舞台で身をもって知ることとなった。そしてこの致命的なミスを最後まで取り返せず、総合4位でメダルを逃す結果となった。

さらにコンバインド以上にメダルの自信があったボルダリング単種目でも7位と振るわず、メダルゼロという結果に握りしめていたはずの自信は粉々になっていた。楢崎は自身のクライミングをもう一度見直すことを迫られた。

五輪出場に向けて見せたフィジカルとテクニックの両輪という進化

五輪出場の運命を決める2019年。選考大会となる8月の世界選手権を見据え、楢崎は原点に立ち返ろうと決意した。「考えるよりも感じたままに登ろう」。フィジカルばかりに頼った登りを抑え、テクニックに磨きをかけて勝ったのが2016年だった。けれど、今度はそのテクニックに頼りすぎることで、本来の野性的でダイナミックな登りが影を潜めるようになっていたのだ。

楢崎はもう一度本来の持ち味を取り戻すため、頭で考えすぎず、自分らしい感覚を研ぎ澄ました登りを意識するようになった。ただそれは、あの頃のように野性的なだけの登りではなかった。ここまで積み重ねてきたテクニックが上積みとなり、フィジカルとテクニックの両輪が噛み合った理想的な登りへと進化していた。

BWCは世界選手権への調整のため6戦中4戦のみの出場に抑えた。それでも優勝1回、準優勝3回と抜群の安定感で、2016年以来の年間総合優勝に返り咲いた。第2回CJCも連覇し、明らかに昨年までの楢崎から一皮むけた強さと風格をまとっていた。

「感覚的に優勝できると思った」狙って掴み取った3冠と五輪内定

最高のタイミングで迎えた8月の世界選手権。まずはボルダリング単種目のタイトルを奪還した。そして五輪選考種目のコンバインドでは、スピード2位、ボルダリング1位、リード2位と3種目すべてで上位を取る圧倒的なパフォーマンスを見せた。楢崎は総合4ポイントを獲得し、総合2位のヤコブ・シューベルト(オーストリア)の35ポイントに大きな差をつけ、文句なしの金メダルとなった。

試合後、楢崎はこう語った。「今回は感覚的に優勝できると思っていた中で優勝できた」。もう偶然ではない。優勝できる手応えの中、狙って掴み取った栄光と五輪内定だった。

2019年クライミング世界選手権で優勝し五輪内定を掴み取った(写真:田村翔 アフロスポーツ)

世界王者3冠を手中に収めた楢崎にとって、手にしていないビッグタイトルは残り一つしかない。24歳となって心身ともに最も充実し、経験もこれ以上ないほど積んできた。楢崎は理想的なタイミングで東京2020を迎え、スポーツクライミング界にとって最初のオリンピックタイトルを狙うはずだった。

しかし、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、2月中旬頃からスポーツクライミングの国内外の大会は次々と延期・中止を発表。そして3月25日に東京2020の開催も1年の延期が決定した。延期決定の当初はショックを隠しきれなかった。世界選手権からの良い流れで、東京2020を迎えたかったと思うのは当然である。楢崎含めた内定選手たちはその出場権がどうなるのかを一様に懸念していたが、同月30日にIFSCより権利は維持されることが発表された。

楢崎はあるインタビューで改めて五輪に向けた意気込みをこう語っている。「東京五輪で金 歴代最高のクライマーへ」。世界中が注目する大舞台で金メダルを勝ち取るという目標は変わらない。そして楢崎には誰もが認める最強のクライマーになるという野望がある。それを五輪という舞台で証明するため、楢崎はすべてを受け入れて1年後を見据えている。

(文・篠幸彦)

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