新種目BMXフリースタイルの金メダルに挑む中村輪夢。大ケガを乗り越え夢をつかむ

2021/7/27 9:30

写真:YUTAKA アフロスポーツ

オリンピックの自転車競技は、1896年の第1回アテネ大会から実施されている伝統競技だ。舗装された道路で行われるロードレース、競技場の周回コースを使用するトラックレースの2つが古くから行われてきたが、1996年のアトランタ大会にマウンテンバイク、2000年開催のシドニー大会では日本発祥のケイリン、2008年の北京大会ではBMXが正式種目に加えられるなど、種目の増加が顕著な競技でもある。
東京大会では、トラック種目のマディソン、BMXにフリースタイル種目が加わり、早くから金メダルを期待されていたのが、BMXフリースタイルの若き王者、中村輪夢だ。

15歳にして「金メダル候補」と報じられた逸材

2017年6月、スイスのローザンヌで行われた国際オリンピック委員会(IOC)の理事会でBMXのフリースタイルが追加種目として正式決定した際、当時15歳だった中村輪夢はすでに「金メダル候補」として日本のメディアに名前を挙げられていた

「パーク」と呼ばれるコースに設置されたジャンプ台などでトリックを行うBMXフリースタイルはその他の自転車競技、同じBMXのレース種目とは異なり、タイムではなく点数を競う採点競技だ。

中村は、初めて大会に出場した5歳の頃からその実力を遺憾なく発揮。11歳の時にはプロクラスに参戦、中学生になると早くもプロ選手として活動するなど神童として知られていた。

2016年には『G-Shock Real Toughness』で海外のトップ選手を破り優勝。BMXを含むストリートスポーツ、アーバンスポーツ人気の立役者であり、世界最高峰のコンテスト、X gamesのメインスポンサーであるオーストリアの飲料メーカー、レッドブルが当時15歳の彼のサポートを決めたことからも、彼に対する期待、スケールの大きさがわかる。

日本では正式採用直後から「金メダル有力候補」扱いだった中村だが、世界で期待の「ヤングガン」から、本当のトップ選手として認知されるようになったのは2019年からだろう。

X gamesのミネアポリス大会で準優勝になり、BMXパーク史上最年少メダリストに輝くと、その年のワールドカップ年間優勝を果たし、オリンピック前年にして早くも王者の称号を手にしていた。

2019年全日本選手権・男子エリートでも優勝した(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

左かかと骨折で味わった人生で初めての挫折

金メダルがいよいよ現実のものになろうとしていた2020年、新型コロナウイルスの影響で大会が延期されたことで、中村の順調なキャリアに初めて暗雲が立ちこめる。

2020年9月、練習中に着地に失敗し左かかとを骨折。手術を行い、以降3カ月間まったく自転車に乗ることができないという「人生で初めて」の事態に陥ったのだ。

アスリートによってはケガが原因でトップフォームの自身の状態、感覚を失ってしまい、そのまま全盛期を取り戻すことなく引退していくケースも少なくない。他選手を圧倒する高さ、誰よりも高く飛ぶ、「ぶっとんだエア」が最大の武器だった中村にとって、かかとの骨折は深刻な問題だった。

「誰よりも高く飛んで、誰よりも目立つのが気持ちいい」

中村の滞空時間が異様に長いエアは、後方宙返り中にハンドルを3回回す「バックフリップ・トリプルバースピン」、ハンドルを離した手放し状態で体を横方向に2回転させる「720ノーハンド」などの高難度トリックの前提ともなっていた。

青空をバックに、複雑なトリックを悠然と行う中村を再び見られる日は来るのか? リハビリ中は、他ならぬ本人が、「オリンピックには間に合わないかもしれない」と不安を抱いたという。

高難度トリックが中村の持ち味だ(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

結論から言えば、2021年7月に開幕する東京オリンピックには、その"高さ"で世界を圧倒する中村輪夢が、無事に戻ってきている。

専用パークがもたらした「ケガの功名」と競技のDX化

復活を支えた一つの要因となったのは、2020年1月に完成していた中村専用のBMXフリースタイルパーク、『WingPark1st』の存在だ。

2018年から所属契約を結ぶ、ウイングアーク1st株式会社の全面バックアップで京都府宇治市に誕生したテニスコート6面分の大きさを有するこのパークは、24時間365日使用できる中村専用の練習施設として約4億円を投じて建設された。

完成前は、試合を想定した本格的な練習をする際には他県の施設に出向いて練習しなければいけなかったが、中村の住む京都に専用施設ができたことで、コロナ禍での練習環境が確保できたのはもちろん、ケガからの復帰後にも自分のペースで調整できた。

専用パークに設置された9台のカメラ、15台のセンサーによる分析システムも大いに役立った。トリック後に自分のライディングを即座に確認できるリプレイシステムは、練習の質を格段に向上させた。また、所属先のウイングアーク1stが、企業のデータ活用のためのソフトウェア開発、システム、サービスを提供するIT企業だったことから、センサーが採取した各種のデータを記録、適宜出力する"アスリート中村輪夢のDX(デジタルトランスフォーメーション)化"が実現した。

専用練習場のWingPark1st(写真:日刊スポーツ アフロ)

天才少年から絶対王者へ! 進化した中村輪夢を見逃すな

「災い転じて福となす」と言い切るのは時期尚早だが、ケガをしたことで順風満帆、天才少年のまま世界のトップに上り詰めた中村の意識に変化が生まれた。

「筋力トレーニングは一切しない。ひたすらBMXに乗るだけで十分」
(強さの秘訣は)「8時間以上寝ることくらい」
いずれもケガ前の中村の言葉だが、どちらも真実ではあるにしても、ケガをしたことで、BMXに乗れない時間ができ、その時間の過ごし方を工夫することで、競技への取り組みも変化した。

"感覚派""天才肌"の中村が、ケガの前と後の自分を客観データで比較し、内的感覚と照らし合わせながら以前のライディングを取り戻したとしたら、中村はすでにケガ以前の自分を超える何かをつかんでいることになる。

復帰戦となったジャパンカップでは圧勝したが、6月上旬にフランスで行われた世界選手権では7位に終わった。本人は1年4カ月ぶりの国際大会にブランクを痛感したと告白したが、同時に「思い通りに攻めることができれば勝てる」という自信も得た。

日本が世界に誇る若き王者は、ケガという挫折を知りさらなる飛躍を遂げた。

父の経営するBMX専門店『HANGOUT』を通じて、いつも身近にあったBMX。ホイールの部品であるリムから音を取り、車輪と五輪、夢から「輪夢」と名付けられた少年は、試練を乗り越え19歳の青年になった。そしていよいよ待ちに待ったオリンピックの舞台で金メダルに挑む。

画像制作:Yahoo! JAPAN

(文・大塚一樹)