スポーツ庁室伏広治長官が語るオリンピックの本質と東京2020の注目ポイント

2021/7/23 15:30

2000年のシドニー大会以降、男子ハンマー投げの選手として4度のオリンピックに出場し、2004年のアテネ大会では金メダル、2012年のロンドン大会では銅メダルを獲得。2015年10月に設置されたスポーツ庁においては、2020年10月から長官という重責を担う室伏広治氏に、スポーツやオリンピックが持つ力や可能性、東京2020の注目ポイントについて聞いた。

一般的な少年少女と比べて、ずいぶん異なる環境で日常を送っていた

――まずは少年時代のことからお聞かせください。子どもの頃の室伏長官にとって、スポーツはどのような存在でしたでしょうか?

私の父は、オリンピックに4度代表になったことのあるオリンピアンでしたので、スポーツがとても身近なところにある家庭で育ちました。多くの方にとって、スポーツとの出会いは学校の体育の授業や部活動、習い事やクラブ活動なのではないかと思います。そういった点で、私は一般的な少年少女と比べて、ずいぶん異なる環境で日常を送っていたような気がします。

――具体的には、どのような環境だったのでしょう?

当時の私にとって、陸上競技場は遊び場の一つでした。日頃からよく父に連れて行ってもらい、広いグラウンドを走り回り、ハードルを跳び、マットの上で宙返りをして遊んでいたのです。元気いっぱいに動き回る私を、投てきの練習をする体格のいい大学生がかわいがってくれたり、時には、父や他の選手からレクチャーを受けて競技の楽しさを知ることもありました。個人的には、とても恵まれた環境で育つことができたと思っています。

少年時代の偉大な金メダリストとの交流

――ハンマー投げの選手であり、"アジアの鉄人"と呼ばれた父・重信さんの存在は非常に大きなものがありますね。

父の存在により、子どもの頃から国際的な交流を経験することもできました。1956年に行われた、メルボルンオリンピックの男子ハンマー投げの金メダリスト、ハロルド・"ハル"・コノリーさんをご存じでしょうか? ハンマー投げにおいては、世界で初めて70メートル台の成績を残した選手でもあります。

メルボルンオリンピックの男子ハンマー投げの金メダリスト、ハロルド・"ハル"・コノリー氏

1984年、国際陸上競技連がハンマー投げの指導映像をロサンゼルスで制作したのですが、その指導員をコノリーさんが務められ、当時9歳だった私は選手役としてその映像に出演させていただきました。少年時代にオリンピックの金メダリストと関わる機会を得られたことが、その後の私に大きな影響を与えくれたことは言うまでもありません。

1984年ハンマー投げの指導映像を撮影した際の写真。前列中央が室伏広治氏、左から2番目に写っているのが父の重信氏だ

――子どもの頃のそうした経験や体験には、多大な影響力があったのではないかと思います。

そのとおりです。また、このコノリーさんはハンディキャップを抱えた選手でした。脊髄性小児麻痺と呼ばれるポリオ(急性灰白髄炎)を患い、左腕が右腕よりも12~13センチ短く、腕回りが細かったのです。彼がハンマー投げを始めたきっかけは、リハビリの一環だったといいます。野球やドッヂボールが象徴するように、"投げるスポーツ"には片手を使ったものがたくさんある一方、両手を使った競技は決して多くありません。そこで彼はハンマー投げに着目し、ハンディキャップを補うためにさまざまな工夫を凝らしながらトレーニングを行い、最終的にはオリンピックで金メダルを手にするまでのアスリートとなりました。
2010年に亡くなられましたが、晩年は少年少女へのスポーツの普及や育成に関わる活動に熱心に取り組んでおられました。父の存在を通じ、コノリーさんのような偉大な方との交流、同時にさまざまな側面からスポーツを見られた経験と体験は、私の人生の中で何物にも代えがたい価値があると考えています。

2006年、コノリー氏と(室伏広治氏提供)

東京2020はシーンごとの移り変わり、技術や戦術的な要素がクローズアップされる

――室伏長官の中で、東京2020オリンピック・パラリンピックはどのような大会になるとお考えでしょうか?

私としては、より競技にフォーカスが当てられる大会になるのではないかと考えています。多くの会場が無観客という状況で試合が行われるため、テレビ観戦を通して、1シーン1シーンの移り変わり、技術や戦術的な要素などが大きくクローズアップされるのではないかと思います。
また、今大会では、野球・ソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの計5競技が追加種目となりました。野球・ソフトボールのようにオリンピック競技として復活したものはもちろん、新たに加わった4つの競技に関しても、観戦される方々が各競技の楽しさや魅力といった部分に触れ、大いに盛り上がるのではないかと考えています。日本選手団の活躍が期待できる競技がたくさんありますので、毎日が楽しみですね。

原点は古代オリンピックにある

――室伏長官は、これまで4度のオリンピックに出場されました。ご自身の中で、オリンピックという大会はどのような存在として位置づけていらっしゃいますか?

やはり、原点は古代オリンピックにあると考えています。"ディスコボロス"という円盤投げの像をご覧になったことはありますか? 現代に生きる若者たちが見たら、「これは何だろう? 裸で円盤を持っているけれど......」と思われるかもしれません。そういった感想は、私個人としてはとても残念です。あの像こそ、肉体と精神の理想的なバランスを絶妙に表現していると思うからです。

ミュロンによるディスコボロスの模刻(写真:アフロ)

――"人類史上、最も美しい"と評価されているギリシャ美術ですね。

そのとおりです。古代ギリシャにおける崇高な精神をはじめ、何よりも大事な部分がこの像に込められています。私は2005年に、自筆でこんなメモを残しています。「心が頭にない時代にスポーツは生まれた」と。

――そのメモには、どのような意味が込められているのでしょうか?

ぜひ、ミュロンの"ディスコボロス"像の人物の顔を見てください。古代オリンピックで使用された円盤の重さは6kgもあり、近代オリンピックで使用する円盤の実に3倍もの重さがありました。これから全力で重い円盤を投げようとしている者が、これほど冷静な表情を保てるものでしょうか? 肉体面とともに、精神面の素晴らしさが顔に出ていると思うのです。これは多くのアスリートにとって理想の姿であり、私自身が追い求めていたものでしたので、この像からインスピレーションを受ける形でメモを取ったのです。つまり、"ディスコボロス"は感情のコントロールが適切に行われた、"心が頭にない"という安定した精神状態が形成されているのです。

不正を防止することもスポーツ庁の役割

――アスリートには、肉体面はもちろん、精神面の強さも求められます。

古代オリンピックは、1200年近くにわたり行われ、293回もの大会が開催されました。東京2020が近代オリンピックとしてはまだ32回目の開催であることを考えれば、その歴史の重さが伝わるでしょう。
時はローマ時代に移り変わり、古代オリンピックの最後となった293大会目では、不正や八百長が横行し、世界的な信頼を失う形で幕を閉じたそうです。我々スポーツ庁の役割や任務はそういった部分にもあると考えています。やはりまずは、あらゆる不正、八百長、またドーピングによる不正を防止すること。特に今後も、時代を経るごとにさまざまなドーピング問題が発生するのではないかと思います。スポーツには正々堂々と戦うという倫理観があります。生身の身体でいかに戦うかという部分を大切にするためにも、厳しいドーピング検査を行っていかなくてはなりません。

――ご指摘のとおりだと思います。

そういった観点で言うと、古代ギリシャの思想は、日本の伝統的な競技である相撲の精神と合致するところがあるのではないかと思っています。相撲では、勝負の前に塩をまいて土俵を清め、相手を殺傷するような技はすべて禁じられてます。そして一連の儀式が行われ、手のひらを天に向けて、相手に武器を保持していないことを示し、行事の合図"ハッケヨイ"は、"八卦が良い"であり「占った結果、今が最高の瞬間だ。さぁ正々堂々と立ち会いましょう」と両者が息を合わせます。同時に古代ギリシャのアスリートも勝者は笑顔を見せてはいけないとされていましたが、相撲でも勝者には大げさなガッツポーズを良しとされません。このあたりの考え方が、古代ギリシャのものと一致するのです。これは、相手へのリスペクト以外に他なりません。このような精神的な部分が、オリンピックには求められているのだと思っています。ただし、現代スポーツの世界において、喜びをより自由に表現することは、大きな共感を生み出し、重要なことであることも、ここに添えておきたいと思います。今の時代は形式的なことよりも、相手をリスペクトする、その"心が"大切なのです。日本の選手には、勝っても負けても、爽やかな笑顔で応えてもらいたいです。

オリンピックは"人間教育"につながる

――特にオリンピックという舞台において、相手選手、相手チームへのリスペクトは、不可欠なもののように感じます。

仮に、そういった精神がなくなった時には、大会に参加しているアスリートも観戦している方々も、オリンピックという大会の面白みや存在意義が分からなくなるのではないかと思います。だから、原点に戻るという点においても、私は2005年に「心が頭にない時代にスポーツは生まれた」と記したのかもしれません。勝利への意欲や感情は、すべて頭の中で考えるものでしょう。でもそれだけではなく、アスリートには、まずは心の中ですべての人々に対するリスペクトの気持ちを持っていただきたい。これがオリンピックに求められている精神であり、"人間教育"につながるからです。

――オリンピックを"人間教育"と表現されるところに、大会の重みが感じられます。

例えば、1984年のロサンゼルスオリンピック。女子マラソンでスイスのガブリエラ・アンデルセン選手が脱水症状になり、ふらふらになってゴールをしたシーンを見たことがあるでしょうか? 「あれほど厳しい状態であっても、ゴールまでたどり着いたことは素晴らしい」と認識する方も少なくないと思います。当時、私はまだ幼い9歳の時に現地でその姿を見ていたのですが、そこにはやや認識の違いがあるので述べさせてください。

――ぜひお聞かせください。

もちろん、「最後まで諦めなかった」という面は賛辞に値します。ただ、現地でその光景を見ていましたが、地元で金メダルを獲得するアメリカのジョーン・ベノイト選手が先頭でスタジアムに入ってきた時よりも、その約20分後、ふらふらの状態でアンデルセン選手がスタジアムに入ってきた時のほうが、スタンドの歓声や盛り上がりがまるで地響きがするほどで、圧倒的に大きかったのです。

1984年のロサンゼルスオリンピックでゴールを目指すアンデルセン選手(写真:アフロ)

頑張ってトラックを走るアンデルセン選手へのエールが満員のスタンドから巻き起こりました。そして、その声援はふらふらの状態でようやくゴールした瞬間にピークに達します。その光景を見て、「勝者はもちろん賞賛されるが、全身全霊で取り組んでいるアスリートの姿にエールが贈られる大会、これがオリンピックなのか!」と心から痛感しました。

――近代オリンピックの父と呼ばれる、ピエール・ド・クーベルタン氏が、オリンピックについて発した「参加することに意義がある」という有名な言葉にも通じるような気がします。

まさにそのとおりなのです。クーベルタン氏がおっしゃった、その言葉にこそ一番の意味があると思います。
今の時代、オリンピックにおいてはもちろん商業的な側面も大事だと思います。ただ何よりも重要なのは、オリンピックを通じてアスリートたちが競い合うことにより、各選手が人として磨かれ、人間性を育むという部分なのです。そして、その様子を応援する皆さんが間近に見て感じられること。そのような部分を共有し合うことが、オリンピックの成功や成果につながるのではないかと考えています。

(インタビュー:岩本義弘 撮影:倉増崇史)