女子個人メドレー二冠に挑む大橋悠依の軌跡 無名スイマーから世界のトップシーンへ

2021/7/21 9:00

(写真:YUTAKA アフロスポーツ)

競泳女子のエースとして東京五輪に臨む。武器はスリムで長い手足を生かした抵抗の少ない、大きな泳ぎ。女子200m個人メドレーと同400m個人メドレーで表彰台を狙う実力を持つのが大橋悠依(イトマン東進)だ。
「世界を見ても、200mと400mの個人メドレーを両立している選手は少ない。自分はしっかり両立して、どちらもメダルを取れるようにしたい」
ターゲットをはっきりと口にする凛とした表情が印象的だ。

世界選手権初出場で銀メダル

それまでほとんど無名だった女性スイマーがいきなり世界のトップシーンに躍り出たのは、リオデジャネイロ五輪の翌年のことだった。東京五輪に向けて各競技のアスリートたちが再スタートを切った2017年。当時、東洋大学4年生だった大橋の登場は鮮烈だった。
初出場となった世界水泳選手権の女子200m個人メドレーで銀メダルを獲得。続く18年のパンパシフィック選手権では200mと400mの個人メドレーで2冠を達成した。19年世界選手権では200m個人メドレーこそ泳法違反で失格となったものの、400m個人メドレーで銅メダル。世界選手権で2大会連続メダルを獲得したように、実績は申し分ない。

2017年世界選手権 女子200m個人メドレーで銀メダルを獲得(写真:Shutterstock アフロ)

北島康介を育てた名伯楽が指導者に

1995年、3人姉妹の末っ子として滋賀県に生まれた。水泳を始めたのは幼稚園時代。

「最初の頃はお姉ちゃんについていくだけ。それと、お友達に会えるからという気持ちでプールに行っていました。小学生の頃からひょろひょろで体力がないので、練習も好きじゃなくて、隙あらばさぼりたいという性格でした」

だが、大橋には天性のセンスがあった。中学生になると「細い体でも戦えることが分かった」と意識も高くなり、全国大会で優勝するようになった。
そんな大橋の才能を高く買ったのが、五輪2大会連続2冠の北島康介や、リオ五輪で金銀銅メダルを獲得した萩野公介の指導者として知られる平井伯昌氏である。
大橋と平井氏との出会いは12年のジュニアパンパシフィック選手権。当時の大橋の専門は200m個人メドレーや200m背泳ぎで、ジュニア日本代表の監督だった平井氏の目には、「ゆったりとした泳ぎだけど素質はありそうだ」と映っていたという。
大会が終わってみると、200mの2種目では今一つの成績だったが、専門ではなかった400m個人メドレーで自己ベストを記録した。
「体が細くて水を捉えるのがうまいので、400mの方が合っていると思った」という平井氏は、自身が監督を務める東洋大学に大橋を勧誘し、400m個人メドレーをメインにしていこうというプランを伝えた。

こうして14年に東洋大学に入学した大橋だったが、最初の2年間は思うような成績を出せない日々が続いた。入学してからしばらくは体力不足が目立ち、大橋1人だけ早朝の陸上トレーニングメニューが課されたほど。他の選手と同じ水中練習メニューをこなす前に体力をつけるのが先決だった。
大学2年生になると今度は貧血に苦しんだ。タイムがまったく伸びなかったため、原因を探るべく精密検査をしたところ、ヘモグロビンの数値が低く、貧血であることが判明したのだ。
ただ、原因が明らかになったことで、大橋の気持ちはむしろ好転した。鉄分を多く取るなど食事から改善し、まずは体を整えた。
萩野をはじめとする精鋭たちが集う16年2月の海外高地合宿には参加できなかったが、平井氏によれば、「気になっていたので合宿に出発する日に大橋を呼んで『僕がいなくても頑張っておきなさい。来年は君を強化する番だから』と話した」という。
こうして迎えた16年の日本選手権兼リオ五輪選考会で400m個人メドレー3位になったことが大橋の心に火をつけるきっかけとなった。リオ五輪の出場権を得ることはできなかったが、高地合宿に参加せずとも出場ラインまであとわずかに迫ったからだ。

「次のオリンピックには自分が出たい」

心の中が明らかに変化したのを感じた瞬間だった。

16年日本選手権 女子400m個人メドレー決勝で泳ぐ大橋(写真:アフロスポーツ)

繊細な性格を克服。覚悟を決めて世界の舞台へ

その後は右肩上がりに成長した。自身初の高地合宿を経て出場した17年日本選手権では自己ベストを4秒近くも縮める4分31秒42の日本新記録で優勝。初の世界選手権切符を手にしたどころか、金メダル争いが可能な領域に足を踏み入れるほどの伸びを見せた。
現在も大橋を指導する平井氏によれば、大学ではジュニア時代に得意でなかったバタフライの強化がうまくいき、平泳ぎも上達した。それにより「4種目ともそつがなくなった。地道な筋力トレーニングと水中トレーニングでの頑張りで、大きなストロークのままテンポを上げられるようになり、テンポを上げても水を捉えられるようになった」という。 
滋賀県立草津東高校3年生だった13年に東京五輪の開催が決まった。だが、大橋の胸の高鳴りは控えめだった。

「選手として関わることはないだろうと思っていました。何らかの形で関わりたいなとは漠然と思っていましたが」

思い浮かんだのは、ボランティアやトレーナーなど。

「ですから、今自分が選手としてその舞台に立てるということに、すごく驚きがあります。そういうこともあるんだなと思っています」

以前は繊細な性格が災いし、自分のことに集中できなかったり弱気になったりすることがあったというが、今は違う。平井コーチも大橋のメンタルが強くなったことを日々の様子から感じている。覚悟を決めた女子のエースは、表彰台で笑顔を見せる自分の姿を思い描いて勝負に挑もうとしている。

画像制作:Yahoo! JAPAN

(文・矢内由美子)