電動車椅子サッカーからボッチャへ ~ 有田正行パラリンピックへの挑戦

2020/2/25 15:45

 まさに、紙一重の差だった。
 白と赤のボールの間に紙1枚を差し込める、ほんの1mmの隙間があったならば、勝負はどちらに転ぶかわからなかった。
 2019年12月22日、第21回ボッチャ日本選手権大会BC3クラスの優勝、そしてパラリンピック出場内定者が決まった瞬間である。(注1)

 遡ること3日前の19日、翌日から始まる大会に参戦する選手たちが愛知県豊田市スカイホール豊田での前日練習へ続々と集まってきた。ミリ単位で競い合うボッチャは床面の特徴を把握する必要があり、事前チェックが極めて重要だ。傾きはないか、板目は縦なのか横なのか、ワッ クスの濃淡は、湿度の影響は? コート内のあらゆる場所にボールを転がし、距離や曲がり具合を入念にチェックする。自力では投球出来ずアシスタントの力を借り、ランプという勾配具を使うBC3クラスの選手にとっては、より重要度が増す。

 生まれてからほぼ自力では歩いたことがないSMA(脊髄性筋萎縮症)の有田正行はアシスタントである妻の千穂と介助者の3名で乗り込んで来た。真っ先に向かったのは第4コート。予選リーグを1位通過し準々決勝も勝ち進めば、準決勝の舞台となるコートである。準決勝での対戦が予想されるのは、世界ランキング日本人最上位者の高橋和樹(12月10日現在13位)。リオパラリンピックに出場したBC3クラスの第一人者である。前回大会では、1-5でボコボコに敗れ去った相手。しかし有田が翌年の東京パラリンピックに出場するためには、この大会で優勝するしか道は残されていなかった。そのためにはどうしても倒さなければならない難敵。有田と千穂は高橋との対戦を思い描きながらボールを何度も何度も転がし、コートの状態をチェックしていった。

前日練習 ボールをランプにセットするアシスタントの有田千穂

 有田にとって高橋は、ボッチャの入り口となった選手でもあった。出会いは2017年3月11日、埼玉県内でおこなわれた高橋の講演会に有田と千穂が兵庫県から駆け付けた。
 有田はそれまで電動車椅子サッカー(注2)に全身全霊を傾けていた。アメリカW杯の最終メンバーが発表された3月8日までは...。

電動車椅子サッカー 球際で激しく争う有田(右) 左は鹿児島ナンチェスター・ユナイテッドの塩入新也 写真提供(一社)日本電動車椅子サッカー協会

 有田は強豪レッドイーグルス兵庫の中心選手として活躍、2011年フランスW杯には日本代表として出場、優勝したアメリカのマイケル・アーチャーと得点王を分け合った。電動車椅子サッカー専用車がアメリカで開発・発売されると、いち早く輸入し日本で最初に乗り始め、最終メンバー発表直前の代表合宿にも10名の代表候補の一人として選ばれた。それまで夫婦で力を合わせて、サッカーがうまくなるために、代表選手として世界と戦うために、すべてをやりきってきた。しかし電動車椅子サッカー協会HPで発表されたアメリカW杯最終メンバー8名のリストに、有田の名前はなかった

 まさかの落選。そして絶望。
 これからどう生きていくのか、人生の目標をどうするのか? 有田と妻の千穂は、考えられないような絶望の時を過ごした。
「何かをやらないといけない、生きていくために。いろんな意味で。人間として生きていくためにも」

(注1)ボッチャとは?/(一般社団法人 日本ボッチャ協会HPへ)
https://japan-boccia.com/about
(注2) 電動車椅子サッカー
電動車椅子を操り、足元に取り付けたフットガード(バンパー)でボールを「蹴る」サッカー。選手の多くはSMA(脊髄性筋萎縮症)や筋ジストロフィー、脳性麻痺、脊髄損傷等により自立歩行できないなど重い障害を持つ。4名の選手(男女混合)が20分ハーフでプレー。スピードは時速10km以下と定められており、日本国内のみ時速6km以下のルールも共存している。繊細な操作で繰り広げられるパスやドリブル、回転シュートなど華麗かつ迫力あるプレーが魅力。過去3回の全てのワールドカップに代表チームが参加している。

ボッチャで日本代表を目指す

 そんな夫婦の脳裏に浮かんだのがボッチャだった。検索してみると高橋和樹選手の講演&体験会の情報が出てきた。落選から3日後の11日、何もない状態から何かを探すため、2人は始発で兵庫から埼玉へ向かった。心情的にふっきれたわけではなかったが、とにかく行動するしかなかった。
 マッシュルームカットがトレードマークの高橋和樹は、子どもの頃から柔道に打ち込んでいたが高校生の時、試合中に頚椎を損傷、東京パラリンピック開催決定後の2014年からボッチャを始め2年後のリオパラリンピックに出場を果たした。有田はその高橋の道具を借りてボッチャを初体験。高橋から「センスがあるね」と褒められ、「調子に乗って」すぐにボッチャを始めた。電動車椅子サッカーのW杯で飛んでいくはずだったお金を全てボッチャの道具にかけ、「今度はボッチャで日本代表を目指そうと、めっちゃ練習した」。夫婦2人3脚で東京パラリンピックを目指す闘いが始まった。W杯が終われば考えるつもりだった子どものこともお預けにした。身重の体ではアシスタントは務まらない。夫婦で道具にこだわり、ボールにこだわり、戦術にこだわりやってきた。
 BC3クラスは選手がアシスタントにランプの方向、ボールをリリースする位置を指示。アシスタントが速やかにランプを動かしボールを指示された高さにセット、高い位置からリリースする場合は2段3段とランプを継ぎ足し、選手が手に持つか、頭部や口に装着したリリーサーをボールの位置まで介助し持っていく。1エンドあたり6球を6分で投げ終えなくてはならず、アシスタントには迅速な動きが求められる。また意思決定とリリースはあくまで選手が行うものであり、アシスタントはコートに背を向け、戦況を見ることは許されていない。選手と話したり、返事をしたりすることも反則となる。

有田が持つリリーサーをランプに添える千穂

 BC3クラスのボールは、握ると形が変わるような柔らかいものから、ボーリングの球のような固いものまで様々だ。スーパーソフト、ソフト、ミディアム、ハード、スーパーハード、ウルトラハード等々。ランプの同じ高さから転がしても転がる距離は1球ずつ異なる。固いボールは相手のボールを弾き出すことが出来るが、投球の最後に残してしまうと扱いが難しくなる。柔らかいボールは弾かれにくいが、転がす面が変わるだけで距離も変化し扱いはとても難しい。ボールの選択は選手に任されており、各自で購入し好みのボールに仕上げていく。

 千穂は有田の「もうちょっと固く」「柔らかく」等の要望を聞き、ボールをカスタマイズしていった。「もうちょっと残るように」と言われれば皮の状態を変化させ、相手のボールに弾かれにくいものを作ってきた。何度も何度も注文され夜中に一人作業をしていた時には、中身を全てぶちまけたくなる時もあった。そうやって夫婦で丹念に作り上げてきたボールのなかから、さらに選りすぐった赤球6球、青球6球に2人の意思が込められ、実戦の場を転がっていく。ひとつひとつ個性の異なるボールをいつ転がすのか、あるいは相手にいつ使わせるのか? 選手たちは1エンドあたり6投をめぐる戦術を事前に組み立て、相手の出方を見ながら修正していく。
 めきめきと力をつけた有田は日本代表強化指定選手にも選ばれるようになり、ボッチャを始めて2年後の2019年3月には初めて出場した国際大会で初優勝、世界ランキング40位台に名を連ねた。しかし高橋和樹は上をいく13位、もう一人の強化指定選手河本圭亮は17位(ランキングはいずれも12月10日時点)。東京パラリンピックに出場できる男子選手は2名のみで、ランキング上位者と日本選手権の優勝者である。有田が今後の国際大会に出場し2人のランキングを越えることは現実的には考えにくく、有田には日本選手権で優勝するしか東京パラリンピックへの道は残されていなかった。

第21回ボッチャ日本選手権大会

 日本選手権は16名の選手が4つのグループに分けられ予選リーグ3試合を戦い、上位2名が準々決勝へ進出する。むろん予選とは言え、簡単な相手はいない。
 有田の予選リーグ第1戦の相手は、東京の坂井結花。第1エンドは有田が2-0と先行するものの、続く第2エンドに坂井が勝負をしかけてくる。ジャックボール(目標球となる白い球)を有田から最も遠いコートの右奥深い位置のロングに置いてきた。8m程の地点。ロングは距離感も難しく床の影響も大きい。初日の第1試合、まだコートに慣れきっていない状態であれば尚更だ。床面のワックスも効いており距離感も掴みきれてはいなかった。実際有田は2投目を左にボール1個分外し、3投目の狙いも右にずれた。有田が6球すべてを投げ終わった時点で坂井は4投を残しており大量失点の危機、しかし坂井は精度を欠き1得点を奪うにとどまった。
 続く第3エンドは有田が坂井の正面3mの位置で確実に1点を加点、3-1とリードを広げ、最終エンドでは再びロングで勝負をしかけてきた坂井から4点を奪い7-1で勝利した。

 第2試合は決勝の舞台でもあるセンターコートの第1コート。前日練習ではチェックしておらず、実戦を通して把握していくことになる。その影響なのか第1エンドの4投目、有田は自分の目測より50㎝ショートするミスショットを投じてしまう。その原因は、「自分の緊張にあったのではないか」とアシスタントの千穂は言う。緊張したことにより熱を帯びた手でボールを触って皮が柔らかくなり、距離が延びなくなったのではないかと。柔らかいボールは投球直前、重心を均等にし真球に近づけボールが真っすぐに転がるように、アシスタントがボールを丸める必要がある。「そのことによるミスショットなのではないか」。ボールと床と転がり具合の相関関係は、それほどまでに繊細だ。
 ミスもあり第1エンドで1点を先制されたが、その後は試合のなかで修正、終わってみれば7-1で愛知の加藤啓太を破り初日を終えた。この日、有田は試合会場で何も食べずに試合終了までプレー。だが翌日は3試合(予選リーグ1試合、準々決勝、そして大一番の準決勝)が予定されている。何か口にしないと乗り切ることは難しい。細かく切り刻んだものや柔らかいものを時間をかけて食べる必要がある有田にとっては、食事をどうするかという点も勝つために必要な戦略だった。
「明日は食べます!」。そう言い残して有田は試合会場を後にした。
 翌朝9時30分、愛知の楠本大悟との対戦は、有田が第1エンドで先制を許すものの、その後は危なげない試合運びで4-2で勝利。予選3試合を全勝、予選を1位通過し準々決勝に駒を進めた。
【準々決勝 田中恵子(赤球) - 有田正行(青球)】
 準々決勝の対戦相手は石川県の田中恵子、女性唯一の日本代表強化指定選手である。(アシスタントは母の孝子さん)。東京パラリンピックBC3出場枠は3、そのうち一人は女性と定められている。田中は最もその枠に近い存在だ。田中は脳性麻痺、ボッチャは元々脳性麻痺者のスポーツとして発展してきた。

準々決勝 狙いを定める有田 右は田中恵子

 田中も第1戦の坂井同様、有田から最も遠い位置、コート左奥のロングにジャックボールを置いてきた。そして1投目の赤球をピタリと寄せた。有田はその赤球を3球使ってもはじき出しきれず、4投目からは手前に壁を築き最少失点に抑える作戦に切り替えた。田中は5球を残していたが、有田のガードが効き得点は2点。有田は直後の第2エンドで3点を奪い一気に逆転、その後も着実に加点し5-2で勝利、準決勝進出を決めた。

そしていよいよ高橋和樹との対戦

【準決勝 高橋和樹(赤球) - 有田正行(青球)】
 そしていよいよ準決勝、前日練習で入念にチェックした第4コートでの試合。対戦相手は想定通り、ボッチャの世界にいざなってくれた高橋和樹である。(アシスタントは、高橋の介助も行いボッチャに専念している峠田佑志郎さん)。2年前に日本選手権の予選リーグで一度勝ったことはあるものの、その他の大会や練習でもほとんど勝ったことがない。前年の大会では惨敗も喫した。だが、パラリンピック出場のためにはこの壁を越えなくてはならない。そのために綿密な準備もしてきた。前日と異なり、昼食にはスプーン3杯の雑炊も口にした。

準決勝 有田と高橋和樹(右)の対戦

 第1エンド先攻は高橋。いつもの位置、コート手前のV字をやや出た2mの地点にジャックボールを置き赤球を完璧な位置に寄せた。有田はその赤球を固いウルトラハードでずらし2投目をジャックに寄せる。高橋がその青球をはじいた後の3投目、ここぞという勝負所で使用するスーパーソフト(最も柔らかいボール)を投じるがショート、わずかに寄せきれない。大会を通じてスーパーソフトの調子が悪く、高橋は距離に迷いが生じていた。依然としてジャックボールに一番近いニアボールは有田の青球。その後、高橋は5投目までを投じやっとニアボールが赤球に。高橋にとっては3投目のミスが尾を引き予定外の球数を費やしてしまった。
 チャンスを迎えた有田の3投目、しかしジャックの前に高橋が赤球3球の壁を築いており、決して簡単な局面ではない。ヒットし、はじくだけではなくボールをジャック付近に残したいと考えた有田は、固めのボールではなくやや柔らかめのソフトミディアムを選択。ランプ3段上部170cmほどの高さからリリースされた青球は、手前の高橋の赤球にヒットし、さらに奥の赤球も飛び越えピタリとジャックボール左に収まるスーパーショット。この投球が効いて有田は第1エンドで3点を先制した。

準決勝第1エンド 有田の3投目

 続く第2エンド、有田はボッチャの常識に反するようなプレーを繰り出す。わざとジャックボールを無効エリアへ転がし相手に先攻の権利を与えたのだ。通常は先攻の選手が自分の得意な位置にジャックボールを置き、先手先手で優位に試合を進めようとする。敢えて相手に委ねる作戦は10ヶ月前から考えてきた。思いついたときは周囲から「そんなことやるやつは聞いた事がない。馬鹿じゃないの」と笑われた。だが有田は本気だった。
 しかし高橋はジャックボールを第1エンドと全く同じ位置に置き、冷静にプレーを再開する。もちろんそのことも有田は織り込み済み、計算済みだ。相手のスローイングボックスへ体を反り狙いを定めることが出来る高橋は、自分の目の前の位置を勝負のエリアに選んできた。一方、筋疾患系のSMA(脊髄性筋萎縮症)である有田は上体をそらすことができないため、むしろ相手の正面にジャックボールがあるほうがプレーしやすい。そこは互いのメリットがぶつかり合うガチンコ勝負のエリアでもあった。

準決勝 体を反らせて狙いを定める高橋(右)

 高橋は2投目でウルトラハードを使い有田の青球をはじき飛ばし、次の3投目でスーパーソフトを見事にコントロール、第1エンドとは違いジャックボールにピタリと寄せた。残りの球数に余裕を持てた高橋がこのエンド2点を返し、逆に1点差に追い上げる。
 第3エンド、先攻の高橋が投じたジャックボールは第1、第2エンドと全く同じ位置。その後、1投ごとに局面が変わる息詰まる展開が続く。有田は5投目でウルトラハードを最上段から転がし高橋の赤球にヒットしはじき出し、最後まで取っておいたスーパーソフトをピタリと寄せる。高橋の6投目は距離感を掴めずショート。有田が1ポイントを奪い4-2
と差を広げた。
 最終エンドは有田の先攻、再びジャックボールを無効エリアへ転がし攻めの姿勢を貫く。4つのエンド全て高橋の前で、同じシチュエーションで勝負するのが有田の作戦だった。そして有田の思惑通り高橋はいつもの、その位置にジャックボールを置いた。高橋が5投目を投じた後の有田の4投目、ウルトラハードを使いジャック手前の赤球をわずかに右にずらす。ジャックと赤球の間隔はわずかボール1個分、有田はその狭い隙間へ狙い通りスーパーソフトの青球をねじ込む。リードされている高橋は最低でも2ポイントを取らなくてはならないが、残されたのは最後の1投のみ。ジャックを奥に動かし、ニアボールは赤球になったが1点しか奪えず、有田を上回ることは出来なかった。
 呆然自失の高橋。有田は加えていた呼吸器から口を離し、笑みがこぼれる。千穂も有田にガッツポーズ。有田正行が難敵高橋和樹を4-3で破った。
「何としてでも私を倒す。有田さんの何としてでも勝つという気持ちと、それに合わせて練習してきたことは、尊敬というか、凄いなと思いました」と語る高橋にとっては、もっとも柔らかく、ここぞという時の武器にもなるスーパーソフトの距離感がうまく掴めないままでの敗戦となった。手で投げるわけではないBC3選手には不可欠なボールだが、距離にばらつきが出たり、曲がったり曲がらなかったりするなど、とてもナイーブで扱いにくい。移動中には中身が片寄ってしまいアシスタントがボールを丸め作り直さなくてはならない。だがいったんジャックボールの手前に置いてしまえば、相手ボールの威力も吸収し動かしにくいボールとなる。
 
 決勝進出を果たした有田は、翌年の代表強化指定が決まった。しかしパラリンピック出場のためには翌日の決勝に勝ち、優勝するしかなかった。
「あと1勝して、パラに出ます」
 力強く有田は語った。

パラリンピックへ王手

【決勝 河本圭亮(赤球) - 有田正行(青球)】
 もう1つ越えなくてはならない関門は、地元愛知の河本圭亮。(アシスタントは母の幸代さん)。河本は自らの手で投げるBC4クラスの選手として小学校3年からボッチャを始め2011年の日本選手権では2位にもなったが、筋ジストロフィーの進行とともに最重度のBC3クラスに転向。日本選手権2連覇中、世界ランキング17位の選手である。 
 第1エンドの先攻は河本。コート左のライン際3m程のところにジャックボールを置く。有田はジャック手前に2個の青球をピタリと寄せるが、河本は2投目でその間に赤球をねじ込み、3投目のウルトラハードで赤球をプッシュしジャックに寄せる。有田はその赤球の処理にてこずり、河本が主導権を握って1点を先制した。

決勝第1エンド 狙いを定める有田 右は河本

 続く第2エンド、有田はジャックボールを河本のほぼ目の前2mに置き、ピタリと青球をアプローチ。その青球をはじき飛ばしたあとの河本の2投目、床面の板目の影響を受けたのだろうか、投じた球がほんのわずか左に曲がった。ジャックにはアプローチできたものの、有田とジャックを結ぶライン上ではない。ライン上にあれば有田はウルトラハードで弾き出す場面だが、使用したのは別のボール。そのことがエンドの最後に影響を及ぼすことになる。その後、両者ともにニアボールをはじき飛ばしてはピタリとアプローチ。その応酬が繰り返され、有田は5投目でスーパーソフトの青球をピタリと寄せ、大きな拍手がわき起こる。河本はジャックとのライン上にある、その青球をはじき切れない。1点リードで有田は6投目の場面をむかえる。残り時間は1分20秒。一気に2点を奪い逆転のチャンス。しかし有田は狙いを定めるものの何故か投球動作に入らず、刻々と時間が過ぎていく。「どうしよう」と独り言を呟き考え込む有田。反応するわけにいかないアシスタントの千穂は指示を待つしかない。残り30秒になったところで有田は「投げない」決断を下した。有田には1点のみが入り、1-1の同点に追いついた。
「相手のポイントになるかもしれんし、ちょっと怖かった。いろいろ考えたけど、投げても点は取れなかった。投げてもなんともなってなかった」と有田は振り返る。
 残っていたボールはウルトラハードだった。敵球を弾き飛ばすのには適しているボールだが短い距離のアプローチは難しい。「曲がって変なところにいくといやだ」という気持ちが強かった。

決勝第2エンド 6投目を投ずるかどうか熟考する有田

 第3エンド、河本はコート左奥のロングおよそ9mの位置にジャックボールを配した。有田は河本がロングをしかけてくることは大会前から予測していたが、1投目はややショート。2投目に投じた青球を3投目でプッシュしジャックに寄せようとするが寄せきれず、結局6投目まですべて投げさせられてしまう。河本には5球がまだ残っている。有田は大量失点のピンチをむかえる。しかし手前に築いた有田のガードを河本はなかなか崩しきれず得点は1点のみにとどまった。最終エンドを残して河本が2-1と最小得点差のリード。流れは勝ち越した河本にあるのか、最小失点でとどめた有田にあるのか。河本は難しい表情、一方の有田からは「これはあるぞ。いけるかもしれへん」という言葉がこぼれ出た。

決勝第3エンド終了時点 赤球の河本が1得点を得た

 そしていよいよ第4エンド。有田は第2エンドと同じく河本の目の前にジャックを置く。河本は3投目で青球をはじいて赤球をジャックにピタリと密着させるショットを繰り出す。有田は3投目でその赤球にヒットし奥に押し出して、観客席からはどよめきと大きな拍手がおきる。しかし有田にとっては後悔の残るショットだった。本来であれば投じた青球を元々赤球があった位置(ジャックボールの手前)に残したかったのだが、ボール1個分奥に行ってしまった。

決勝第4エンド 有田の3投目

 河本は、そのわずかなスペースを見逃さない。自分の赤球左半面を狙いプッシュ、押し出された赤球は右斜めへ進み、右奥のジャック手前のスペースでピタリと止まる。観客席から漏れるため息。まさにミリ単位の攻防が続く。有田はランプ最上段からウルトラハードを転がしその赤球にヒット、奥にあるジャックボールをさらに奥へと動かす。続く有田の5投目、スローイングボックス右端ぎりぎりから絶妙にコントロールされたウルトラハードが自らの青球をプッシュ、押された青球はそのままジャックボールに密着した。大きなどよめき、「ナイス」という声、そして拍手が静かな会場に響き渡る。有田からも珍しく「よっしゃー」という声が漏れ出た。1球1球局面が変わり目が離せない。この時点で河本は残り2球、有田は1球。河本が最上段からウルトラハードをリリース、青球にプッシュし奥の赤球をジャックに寄せるものの、この時点では依然として有田の青球がニアボール。有田の青球はジャックボールに隙間なく密着しているが、河本の赤球とジャックの間にはわずかな隙間があり、有田1点リードの状況。しかし河本は最後の投球で、見事にその隙間を埋めた。このまま終われれば両者が1点ずつ分け合い、河本の優勝が決まる。有田はスローイングボックスを離れ局面を確認。ジャックボール、赤球、青球が密着した状態だ。狙いは手前の青球に当てて奥の赤球をジャックボールから少しでも離す。残り8秒、リリースされ密集の中に進んでいったボールが狙い通り青球に当たる。

決勝 有田最後の投球

 赤球を離すことは出来たのか? 遠目からは状況がわからない。審判が確認のため両者を呼ぶ。もしジャックボールと河本の赤球に間に、紙一枚が挟める1mmでも隙間が出来ていれば有田が追いつき、タイブレークに持ち込まれる。

結果を確認する有田

 しかし河本の赤球は白いジャックボールに接したままだった。その瞬間、河本圭亮の優勝が決まった。両者が1点ずつ分け合い、トータルスコアは3-2。まさに紙一重の勝負だった。

決勝終了時のボールの配置

 河本圭亮はパラリンピック出場が内定。「東京パラリンピック代表は想定内。これからがスタート。自分の持ち味は先を読む力。その力をもっともっと上げて技の魔術師と言われるようになりたい」とパラリンピックへの抱負を語った。
 一方、有田正行の東京パラリンピックへの道は、あと一歩というところで潰えた。
 年が明けても有田の脳裏に浮かんでくるのは、決勝第4エンドの3投目のわずかなミス。河本の赤球にヒットし奥に押し出したものの、自分の青球を相手の前に残せなかった一投だ。「(リリースする高さを)15㎝高く言い過ぎた」「もうちょっと低く、もうちょっと弱くしていれば」。そうすれば河本にもう一球余計に投げさせることができ、タイブレークに持ち込めたのではないか。そして優勝しパラリンピック出場内定も得ていたかもしれない。「自分の得意なプレーなのに、それが出来なかったのが悔しい」
 最終的にジャックボールに密着し離れることのなかった河本の、"作り込まれた"ボールは、そのわずかなミスの後に投じられたものだった。 
 妻の千穂はその投球とともに、決勝第2エンドで投げなかったウルトラハードのボールがずっと頭に浮かんでいる。「距離的に絶対無理というわけではなく、曲がることが不安だから、ボールが信じられないから投げられなかった。もう少し真っすぐ転がるように作り込んでおけば良かったなという後悔がずっとあります」
「ボッチャを始めたとき『東京パラリンピックに出たい』と言ったら、皆に『アホちゃうか』『どの口が言うてんねん』くらいの顔で見られた。それを考えたら上出来かと。もっと出来たかと思うが仕方ない...」と有田は静かに振り返った。
 電動車椅子サッカーの代表落選は納得できるものではなかった。だが今回の"落選"はすっきりもしている。夫婦二人で最大限やってきて、試合に敗れたという明確な結果があるからだ。2位になったことで強化指定選手にも選ばれた。
「出場できる大会は全て出て世界ランキングも上げていきたい。長期的には2年後の世界選手権や4年後の2024年パリパラリンピックも見据えて、まずはロードマップを考えていく」と有田は言う。もちろん、妻の千穂との共同作業である。
 2020年新年の自宅には孵化を待つ卵のように、既に新しいボールたちが置かれていた。

(文・写真 中村和彦 校正 佐々木延江、望月芳子)

〈この記事は、パラフォトにて2020/01/16に掲載されたものです。〉

競技紹介

${list[returnRandomCount].credit}

${list[returnRandomCount].eventName}

${returnCompetition(list[returnRandomCount].eventId)}

${list[returnRandomCount].text}

競技一覧

おすすめ情報