半年後にせまる東京パラリンピック、パラスポーツの魅力をカメラマンが紹介

2021/4/1 15:00

カメラマンの越智貴雄です。今回は、21年間パラスポーツを撮影してきた中で、私の考え方が変わるような衝撃のシーンを写真と共にいくつか紹介していきたいと思います。

■ボッチャの巧み

初めてパラリンピックの撮影をした2000年のシドニー大会で、ボッチャという競技を見た時、どう見たらいいのか全くわかりませんでした。写真は、重い障害クラス(BC3)の選手たちの試合で、頭しか動かせない選手が、頭に装着した道具を使い、アシスタントにスロープを動かしてもらいながらボールを投げる様子です。当時は「ここまでして競技をしたい人が居るんだ!」「この競技は普及していくんだろうか?」というのが率直な印象でした。

それから、ボッチャ競技に対する印象は、時間と共に変化していきました。じっくりと競技を見ていると、カーリングのように球を正確に転がす"動のテクニック"と、チェスのように頭脳ゲームで戦略を組み立ていく"静のテクニック"が両方必要な、とても面白いゲームなんです。
金メダル常連のタイ選手や日本のエース廣瀨隆喜選手は「なぜ、こんな球が投げられるのか」というスーパーショットを大事な場面で決めてきます。一進一退する攻防戦のゲームになると、試合の最後の一球まで勝敗の行方が決まらず会場も息をのむような空気に包まれます。

日本のボッチャ協会や選手たちは、普及活動がとても上手です。メディア対応の丁寧さにも驚きます。例えば、大会で選手たちが試合前に気合を入れるシーンには、カメラマンが撮影しやすいように選手のポジションを調整してくれます。そして、廣瀨選手のスーパーショットが決まった時の「ウォー!」という雄叫びは、ボッチャ名物となっています。こんな気遣いやサービス精神旺盛な彼らの競技外でのたゆまぬ努力もボッチャの魅力といえます。

2枚目の写真は2018年イギリス・リバプールで開催された世界選手権の団体決勝。会場は薄暗くされ、選手の入場時にはカクテルライトの照明がたかれ、ショーアップされるボッチャに、時代の変化を感じました。

■10年越しの車いすバスケ撮影

車いすバスケットボールのゴール前の攻防で、選手たちの手が伸び縮みする姿が「クモの糸のようだ」と思いはじめてから、どうしてもそれを真上から撮影したいと思うようになりました。天井からの撮影を大会運営者に交渉し続けましたが、叶わぬまま10年が経ちました。その10年越しの願いがやっと叶ったのが、ロンドンパラリンピックでした。

会場の天井近くにカメラを設置して地上からリモートで撮影出来るとわかった時は、涙が出るほどうれしくて飛び上がって喜びました。リモートシャッターボタンを地上から数千回押して、上手く撮影出来ていたのは数枚だけでした。筋肉質な選手の腕の伸び縮みする瞬間や、床の車輪の痕跡が写っていて、地上から見る時とは違う競技の激しさや魅力が捉えられたのではないかと思っています。

2006年 オランダ・アムステルダムで開催された『車いすバスケットボール世界選手権』

■オリンピック出場への夢

2006年のパラ陸上世界選手権アッセン大会で、100メートル、200メートル、400メートルで3冠を獲得し、うち、200メートルと400メートルで世界記録を樹立したオスカー・ピストリウスが、私にこう言ったのです。
「タカオ、五輪を狙おうと思う。スポンサー探したいから、この大会で撮影した写真を全て送って欲しい。使いたいんだ。」 両脚義足の選手が、五輪に!?そんな夢を私に教えてくれた彼に感激して写真の協力をしました。

その後も、オスカーの一挙手一投足が気になり、可能な限り、ニュース報道を見たり、撮影に出かけたり、追いかけ続けました。

それから2年後の2008年北京五輪でオスカーの出場は叶いませんでしたが、2011年に健常者陸上の世界選手権であるテグ大会(写真)の大舞台に義足の選手として初めての出場を果たしました。この写真は初めて、大舞台にたった瞬間ということで、とても印象深いシーンです。オスカーがスタジアムに現れた瞬間、僕に向かって、サムズアップをしてくれた事は忘れられません。

400メートル予選、オスカーが外側8レーンだったこともあり、一番近くでカメラを構えていました。スタート直後、「パンッ!」。フライングを示す音です。その瞬間、オスカーでないことを願って鼓動が高鳴り続けましたが、他レーンの選手のフライングでした。その瞬間、カメラを構えるのを忘れ、安堵した表情でオスカーを見ていると、"大丈夫だよ!"と言わんばかりの表情でニコッとした表情で視線をくれました。

オスカーは予選を通過し、準決勝に進出。そのニュースは世界中を駆け巡り、日本でも生中継されて話題になりました。その1年後の2012年ロンドン五輪にも出場して彼の夢が叶いました。パラリンピック選手が、五輪に出たという世界へのインパクトはとても大きく、パラリンピックが世界中で注目される大きなきっかけとなったことは間違いありません。

■喜びよりも先に感謝を伝える

2019年、パラ競泳世界選手権ロンドン大会で世界記録(1分4秒95)を樹立した山口尚秀選手。ゴール直後に、そっと手を合わせて「ありがとう」と言いながらお辞儀をしたのです。彼の振る舞いを、同じ日本人としてとても誇らしく思いました。その理由を山口選手に聞くと「ロンドンの大会を開催して下さった方々への感謝を伝えたくて」という話。ゴール後にガッツポーズや笑顔で喜びを表現する選手が多い中、このような感謝を伝えた選手は初めてだったので、とても新鮮で爽やかな気持ちになり、強く印象に残っているシーンです。

それから1年あまりたった去年の秋季記録会100メートル平泳ぎ(知的障害SB14)では、ロンドンで出した世界記録を塗り替える1分4秒13をマークしました。今年の東京パラリンピックでは、どのようなパフォーマンスを見せてくれるのか、楽しみです。(写真は2019年の世界選手権のものです)

■ドリブルで3人抜き

アイマスクをしながらサッカーをする、ブラインドサッカー。パラリンピック4連覇中のブラジル選手たちは、ドリブルで3人を抜いてゴールするプレーを見せるなど、まさに超人。視覚に障害のあるアスリートたちは、耳から入ってくる音の情報だけで空間を認識する能力がとても高いと言われています。人間には、知られざる能力がまだまだあるのだと教えてくれているように思えます。

■選手と伴走者がふたりで走る美しさ

2000年のシドニー大会。陸上の視覚障害クラスで衝撃を受けました。視覚に障害のある選手がアイマスクをして紐で伴走者とつながり、ふたりで一緒に走る姿は、まるでアーティステックスイミングのように、ふたりの走りがきれいにシンクロしています。横から見ると一人で走っているように見える美しい動きでした。
手の振りから脚の運びまで鏡に映るように反対にしながら全力で走るこの競技は、心と体をふたりで整えて"一つ"にしていく究極の競技でもあります。
当時は、伴走者へのメダル授与はなかったのですが、今では、一定の条件を満たせば、伴走者にも、選手と同じメダルが授与されます。

写真は、ポルトガルのMaria Fiuza選手が1500mのゴール後、走りきって倒れ込みそうな場面で、伴走者の男性が優しく抱き抱えたシーンです。二人の強い絆が映りこんだ美しさに心が震えました。この写真を撮影できたことがきっかけで、初めてのパラリンピック写真展を銀座で開催することができ、その後もパラスポーツを追いかけ続けるきっかけとなった1枚でもあります。

以上、いかがでしたでしょうか?半年後の東京パラリンピックから、私はどんなことを教わるのでしょうか。みなさんもぜひ名シーンを探してみてください!

(この記事は、2021年3月1日、NHK 東京2020パラリンピックサイト内の「越智貴雄/感じるパラリンピックGallery」に掲載されたものです)

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