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"競輪からケイリンへ"日本の実力を押し上げた"本気の改革"

2020/2/25 13:48

すり鉢状の傾斜のついたトラックで速さを競う自転車競技「ケイリン」。その名の通り「競輪」に由来する日本発祥の種目ですが、日本選手がオリンピックの表彰台に立ったのは2008年の北京五輪で銅メダルに輝いた永井清史選手ひとり、日本は苦戦を強いられてきました。

その「ケイリン」が、東京オリンピックを前に飛躍的に強くなっています。特に男子は、2019年の世界ランキングで個人も団体もトップクラス、東京オリンピックのメダルも現実味を帯びているのです。どうして短期間にこれほど強くなれたのか。秘密は、フランス人コーチの元で、競輪関係者が一丸となって取り組んできた"本気の改革"にありました。

"量から質へ" トレーニング法の180度転換

"本気の改革"の陣頭指揮をとるのは、2016年、日本代表チームのヘッドコーチに就任したブノワ・ベトゥ(1973年フランス生まれ)氏。フランスやロシア、中国などのチームを世界トップレベルに押し上げた実績を持つ"メダル請負人"です。東京オリンピックで3大会ぶりのメダル獲得をめざす切り札として招へいされました。


ブノワコーチが最初に着手したのは、トレーニング方法の改革。"乗ってなんぼ"と言われ、練習量をこなすことが重要とされてきた考え方を否定し、効率重視の練習へと転換しました。

2016年ブノワ ヘッドコーチ就任会見 (写真左から)中野浩一 トラック委員長、橋本聖子 自転車競技連盟会長(当時)、ブノワヘッドコーチ、ジェイソン・ニブレットコーチ


ケイリンは、250mのトラックを最大7人で6周する種目です。3周までは「ぺーサー」と呼ばれるバイクに先導されながら時速50kmまでスピードを上げていき、残りの3周で一気にヒートアップ。時速80kmというハイスピードで勝敗を競います。ブノワコーチは、ケイリン選手にとって重要なのは、長距離を走り抜く持久力でなく、短時間でスピードを上げられる瞬発力だとして、1日8時間だった練習時間を3時間に変更したのです。

ブノワ ヘッドコーチ(右)

ウォーミングアップを終えてトラックに飛び出す選手たち、以前は数十周も走り続けましたが、今は、全速力で2~3周走るとすぐにコーチの元へ戻ってきます。走行中に計測したペダルの回転数や最高速度、ペダルにかかったパワーなどのデータを細かく確認、撮影した映像を見直してフォームやコース取りをチェックした上で、改善に向けてブノワコーチのアドバイスを受けるのです。

ブノワ ヘッドコーチ

ブノワ ヘッドコーチ
就任後すぐに選手と話す機会があったのですが、迷信のようなトレーニング法を信じていることに驚きました。それは競輪の文化であり、長い時間をかけて培われた貴重な経験だと思うのですが、世界では勝てないと思いました。日本の競輪を世界のケイリンに変える必要があると思ったのです。競輪の長所をケイリンにどう生かすか、その方針を示して、選手のポテンシャルを引き出すのが、私の仕事だと考えました。

"伊豆への移住" 競輪業界を巻き込んだ構造改革

伊豆ベロドローム(静岡県伊豆市)

オリンピックのケイリンは、プロ選手の出場が認められています。そのため強化指定選手には、実力のあるプロの競輪選手が選ばれます。しかし、全国の競輪場でレースに出場しているプロの競輪選手が、伊豆ベロドロームにいるブノワコーチの元で練習する機会は限られていました。

そこでブノワコーチは、強化指定選手を伊豆に移住させ、徹底的に鍛えられる体制を求めたのです。「東京オリンピックで実際に使用されるベロドロームで練習できるのは、この上ないメリットだ。コーチと選手との信頼関係を構築するためにも、日頃から顔を合わせることができる移住は絶対に欠かせない」。ブノワコーチは、そう主張しました。

伊豆ベロドローム

しかし、実現は容易ではありません。プロの競輪選手は、レースの成績に応じた賞金で生計を立てています。トップクラスの選手の平均年収は約3000万円、1億円を超える選手もいます。そうしたプロの競輪選手にとって伊豆への移住は死活問題。出走できるレースが減るため、大幅な減収になるからです。2019年に世界ランキング3位となった脇本雄太選手がこの年に出場した競輪は5レースのみ、2015年の四分の1以下でした。

脇本雄太 選手


脇本選手のような人気選手がレースに出走しないと、競輪場の観客数や収益金額にも大きな影響を及ぼします。ブノワコーチの改革は、競輪という公営事業の屋台骨を根底から揺るがす危険性を秘めていたのです。

1986年 世界選手権10連覇を達成した中野浩一さん


選手や全国の競輪関係者を説得したのは、日本自転車競技連盟で選手強化の責任者を務める中野浩一さんでした。中野さんは、世界自転車選手権10連覇などの偉業を成し遂げ、「世界のナカノ」「ミスター・ケイリン」と、いまも世界から讃えられる自転車スプリント界のレジェンドです。

中野浩一 トラック委員長
日本の競輪は、二つの厳しい現実に直面しています。一つは、国内の競輪で勝てても、世界のケイリンでは勝てないという現実。もう一つは、国内の競輪の人気がどんどん低迷しているという現実です。僕の現役時代は2万人を超えるお客さんが競輪場に集まることもありましたが、いまはなかなか難しい。レースの売り上げも当時に比べて減少しています。

中野浩一 日本自転車競技連盟トラック委員長

中野浩一 トラック委員長
私は、競輪の将来に向けた話をしました。東京オリンピックでメダルを獲得した選手が競輪場で走るとなったら、競輪場に行って生で見てみたいという人が増える。東京オリンピックをきっかけにもう一度、世界に通用する競輪を知ってもらえる。それが競輪業界みんなの願いでしょう。だからケイリンの強化は競輪の発展につながるんだと説得して回ったんです。

"集団から個人へ" 世界と戦うためのメンタル改革

ブノワコーチの改革は、選手のメンタル面にも及びました。前を走る選手ほど強い空気抵抗を受けて体力を消耗する自転車競技には、選手同士が協力して負担を分散する「ライン」という戦い方があり、競輪では日常的に行われています。ブノワコーチは、そこに日本選手の甘えがあると切り込みました。「ライン」が禁止されているケイリンで勝つためには、集団ではなく、選手個人がそれぞれに強い闘争心や勝利への執念を持つ必要があると、説き続けたのです。中野さんもブノワコーチの方針を理解し、後押ししました。

中野浩一 日本自転車競技連盟トラック委員長

中野浩一 トラック委員長
「ライン」は、競輪の面白さを高める面もあります。選手同士の人間関係や駆け引きも見どころになりますし、スピードが速い選手が必ず勝つとは限らなくなるので、勝敗の予測も難しくなります。でも、国内ではそれでいいかもしれませんが、国際大会では勝てません。外国人選手は隙を見せれば、どんどん勝負を仕掛けてきますからね。世界を知るブノワコーチだからこそ、日本人の甘えを厳しく指摘することができたんだと思います。

ブノワ ヘッドコーチ(右)

ブノワ ヘッドコーチ
中野さんが活躍していた時代には競輪にも「ライン」はなかったと聞き、伝統ではなく変えられることだと思いました。選手は自分の勝敗だけではなく、競輪の将来についても目を向ける必要があると思います。競輪のお客さんが減っているのは、レースが白熱していないからだと考えるべきなのです。レースがもっと面白くなれば、競輪場に足を運ぶ人も必ず増えるはずです。

改革の成果についてブノワコーチに聞くと、「自分が日本の競輪を変えたのではなく、選手自身が気づきケイリンにアジャストした結果だ」という答えが返ってきました。業界を巻き込んだ"本気の改革"は、3大会ぶりのオリンピックメダルに加えて、競輪業界の再興というかけがえのない「レガシー」をもたらそうとしているようです。

※この記事は2020年2月17日にNHK SPORTS STORYで公開された記事です

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