告白 萩野公介 休養、そしてオリンピックへ

2020/1/28 12:48


金メダリストに何があったのか。

競泳の萩野公介選手25歳。ことし3月、リオデジャネイロオリンピック金メダリストの突然の休養宣言は日本中を驚かせました。

休養の理由は。そして復帰した今、どんな思いで競泳と向き合っているのか。その胸の内を語りました。


「やめようと思ったらやめられた」

11月 東洋大学プール

11月。萩野公介はたった一人で泳いでいた。

3月の休養以来、初めて許された練習の撮影。コーチやチームメートは、海外合宿に出かけている。タイムを計るのは所属事務所のマネージャー。金メダリストは地道に再起への歩みを進めていた。

そして、プールサイドでのインタビュー。その胸の内から発せられる言葉は、聞いている方が思わずハッとさせられる言葉から始まった。


「まあ正直言ったら、やめようと思ったら別にやめられたというか。言い方がよくないですけど。水泳が苦しくて辛くて、本当にしんどいっていう事だったら、やめるという選択肢も考えてはいたんですよね。」

時に言葉に詰まり、天井を見上げ考え込み、彼自身「なんて言ったらいいのかな...」と一つ一つ言葉を選びながら、静かに本心を明かしてくれた。

徐々に狂い始めた心と体

3年前のリオデジャネイロオリンピック。萩野は世界の頂点に立った。

競泳で最も過酷といわれる400メートル個人メドレーで、日本選手初の金メダルを獲得。

次なる目標に迷うことなく「東京オリンピックでの連覇」を掲げ、周囲もそれを期待した。

しかし、その計算が狂い始めたのはリオ大会を終えて間もない頃だった。2016年9月に古傷の右ひじを手術。それをきっかけに本来の泳ぎが崩れ、記録は低迷していった。理想とは程遠い現実に、自分でも何が起こったのかわからなかったという。

「自分が自分じゃないような...、だんだん心と体が離れていくようでした。普通の状態って、心と体がシンクロしている状態だと思うんですけど、それがどんどん遠くなる。というよりも...離れていく。」

もちろんケガの影響もあった。それは萩野本人も認めている。しかし原因がそれだけではないという感覚も確かにあった。練習で手ごたえを得ていたのに、レースで表現できない。プールの中で何とかしなければともがいても、それができない。

心と体。理想と現実。そのギャップが決定的なものとなってしまったのが、今年2月の大会、コナミオープンだった。400m個人メドレーで出したタイムは、「4分23秒66」。自己ベストを17秒も下回った。金メダリストの萩野の実力からは考えられないタイムに周囲はざわめき、そして萩野自身、「嘘でも言いたくない」と思っていた言葉を口にした。

「水泳がつらいです。」

萩野は18歳から師事してきた平井伯昌コーチに電話でそう伝えた。涙を抑えることはできなかった。

水泳の本質を忘れてしまった

「言葉で表すのはものすごく難しいんですけど。なんだろう...。」

当時の心境を振り返ってもらうと、萩野はしばし考え込んだ。それでも時間をかけ、ひとつひとつ言葉にしていく。

「たぶん本質を忘れてしまったんでしょうね。水泳という本質を。あんなに好きな水泳が、今もしかしたら好きじゃないのかもしれない。こういう考えに思い当たる自分が...すごく辛かった。本当に、生後6か月から親に連れられてずっと水泳をやってきて、気付いたら身近にあったものが、僕のなかで変わっていた。それがすごく辛かったです。」

電話を受けた平井は、萩野の思いを尊重した。そしてこう伝えたという。

平井コーチ「大学1年からお前を見てきたが、初めて本心を言ったな。長かったぞ。お前はもう社会人だ。自分の人生は自分で選ばなければいけない。でも、水泳を続けなきゃいけないという気持ちがお前を苦しめているのであれば、それは違うぞ。」

「平井先生は、僕が休ませてくださいって言うのをずっと待ってくださっていたと思います。『そうなんだろうな』って先生の中ではわかっていて。僕の中で気づいて、意識して、理解して口に出すのはものすごく勇気がいることでしたけど、でも本当にあの時平井先生に伝えられてよかったなと思います。だから今こうしてプールにいるのかなと思います。」

6年余り萩野を指導する平井コーチは、決断を見守った

「異世界」をめぐる旅

萩野は、オリンピックの前年にもかかわらず日本選手権を欠場。そのまま休養に入ることを決断し、日本代表からも外れた。

休養に入り、まず髪を坊主頭にした。深い意味はなかったというが「とにかくスッキリ、ゼロからのスタート」と考えた。
そして春、自分の人生を一から見つめ直すために旅に出た。ドイツとギリシャを訪ね、自分が競泳のメダリストだと明かすことなく、ひとりの人間として異国の地を歩いたという。


「思いっきり『異世界』みたいな感じで海外に行って、言葉がまず通じない(笑)。そういったところからはじめて、違うものを見たり旅行先で人の温かさに触れたり...。その時のすさんだ心には、すごい良薬で。いやあ、やっぱり人っていいなあって思ったり。」

ドイツの田舎町ではこんなことがあった。ある日、彼は夕食をとるレストラン探しに苦労していた。ようやく行きついたレストランは貸し切り。小さい町ゆえ、他に店は見つかるだろうか。あきらめかけた萩野に店の人は「端っこの席で、いつもの料理は出せないけどいいか?」と声をかけてくれた。

「もうありがたかったです。店を探すのにも苦労して歩き疲れていたし、料理も本当においしかったんですよ。『何でこの町に来たんだ?』とか優しく話も聞いてくれて。それで多めにチップを渡そうと思ったら『他の店でやったらぼったくられるぞ。こんなのいらねえから、またこいよ。』って。すごくうれしかったです。

見つめなおした「水泳道」

「一番欲しかったのは時間だったんだと思います。普通に生活していたら考えない事を考える。それに面と向かって向き合って、自分の中で咀嚼しながら答えを出して、少しずつ『自分ってこうだったんだな』と思ったりして。」

考えを巡らせる日々の中で、萩野はほとんど泳ぐということをしなかった。

来年に迫った東京五輪で連覇を目指すのは当たり前のことだと思っていた。自分自身にも期待していた。それでもその重圧が自分を苦しめていたことも事実だった。

「自分は、ここで水泳をやめてしまっていいのか」。

この時萩野が訪ねたのは、ふるさと栃木・御幸ヶ原のスイミングスクールだった。これまでも折に触れてアドバイスをもらっていた恩師。世間話の合間にかけられた言葉が、萩野に自らの「引き際」とは何かを気づかせた。


「スクール長から『オリンピックでメダルも取って、ある程度活躍してきて、お前はもう十分すごい。だから自分の水泳道をいつ終わらせるのかは、お前自身が決めろ』と言われて。その時僕が思ったのは、僕の水泳道をここで終わりにしたくないなって、素直に思いました。その気持ちが僕の本心なんだなって。」

やめるという選択肢を真剣に考えた末に行きついた答え。泣きながらコーチに休養を申し出てから、およそ3か月。萩野公介は練習を再開した。

再び「スタートライン」へ

「いやあ、ただ泳ぐだけでも本当にしんどい。復帰してはじめて200メートル個人メドレー泳いでみたら、3分45秒くらいかかったんですよ(自己ベストは1分55秒07)。もちろん全力じゃないですけど、1本泳ぎ切るのが本当につらすぎて。休養中も泳いでいたらそんなことなかったと思うんですけどね。でも選択に悔いはないです。」

数カ月に及ぶブランクを埋めるのは、もちろん容易ではない。たったひとりプールを泳ぎ、バイクで汗を流す。一度は消えかけた戦う気持ちを、必死に奮い立たせようとしていた。

8月に実戦復帰を果たしてからは異例のペースで心と体を徹底的に追い込んできた。特に10月から11月にかけては、1か月の間に4大会・24レースに出場。

社会人選手権 会場に入る萩野

その中で一つの目標としていた大会を迎えた。11月9日からの日本社会人選手権。社会人のトップ選手が集まる大会だ。目標は日本代表候補に入ることができる、基準タイムの突破。200m個人メドレーの基準タイムは1分59秒23。本来の実力なら余裕を持ってクリアできるタイムだ。

「自分の100%を出し切る。100%表現する。そうしたら自然と結果はついてくる。逆に僕にできるのはそれしかないですからね。タイム盤いじれるわけじゃないですから(笑)。」


予選がスタート。50mのターンの時点でトップに立ち、後続をぐんぐん引き離す。レース後半は若干ペースが落ちるが、最後の自由形まできっちり泳ぎ切った。フィニッシュタイムは1分58秒73。基準タイムを0秒50上回り、8か月ぶりに代表候補に復帰。

ようやく東京オリンピックへのスタートラインに立った。

「休養を経験できて、そこから今また水泳に向き合って、自分で乗り越えようとしているのは、ものすごくいい経験だったと思います。心と体が一致した、前向きにチャレンジしたレースができたと思います。それが自分にとっては一番うれしいです。」

もちろんまだまだ道半ば。社会人選手権のタイムも、日本記録である自己ベストからは3秒以上遅い。それでも萩野は、東京オリンピックでの金メダルという目標はぶれることはないと言い切る。ターゲットは、来年4月に行われる一発勝負のオリンピック選考大会、日本選手権。その先には7月のオリンピックがある。あと7か月余りの道程を、どう見据えているのか聞くと。

「あとは這い上がるだけだと思っています。見てくださっている方には、『とりあえず頑張るから見てくれ!』みたいな感じです。最終的な目標に向けた段階はまだまだだと思うので...、まあ『4月まで』と『8月まで』の楽しい旅、いい旅になると思いますけど。」

帰ってきた金メダリストはそう語り、プールを見つめた。

※この記事は2019年12月24日にNHK SPORTS STORYで公開された記事です

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