【対談】トップアスリートと室伏スポーツ庁長官との特別対談 「スポーツ庁長官 室伏広治のアスリート近影」 木村敬一選手(パラ水泳)編《前編》

2021/4/28 10:00

※この動画は、令和2年12月に撮影したものです。

(もくじ)
・母親がスイミングスクールに入れてくれたのが、水泳との出会い
・「悲しかった」リオ大会から、東京大会に向けて
・呼吸しているだけでも、成長していると思える
・コロナ禍でのトレーニングの状況は――

新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年はこれまでとは環境が大きく変わった1年になりました。その中において、トップアスリートたちは延期となった東京2020大会に向けた努力を重ねてきました。
東京2020大会での活躍が期待されるトップアスリートの言葉を通じて、競技やアスリート自身の魅力を再発見するとともに、スポーツがもたらす前向きな力を発信していくため、室伏スポーツ庁長官との対談動画をシリーズで公開します。
今回は、羽根田卓也選手(カヌー)です。

母親がスイミングスクールに入れてくれたのが、水泳との出会い

櫻木
今回は、競泳で東京パラリンピック日本代表に内定している木村敬一選手にお越しいただきました。木村選手、よろしくお願いいたします。

木村
よろしくお願いします。

室伏
前職の組織委員会のときの復興イベントで、一緒に小学校の運動会に出させてもらって、そのときに御一緒させていただいたことがあります。是非今日は、コロナ禍においてどんな取組をしてきたかとか、前回会ったときからまた更に成長されたと思いますので、そういったことを聞きたいですね。

櫻木
そうですね、楽しみですね。よろしくお願いいたします。
木村選手は、視覚障害者の競泳で、これまで2008年の北京大会、2012年のロンドン大会、2016年のリオデジャネイロ大会の、3度のパラリンピックに出場され、前回リオ大会では、日本人最多となる銀メダル2個、銅メダル2個を獲得されました。東京大会に向けては、S11クラスの100mバタフライで、既に代表に内定されています。
室伏長官も、木村選手の競技については御覧になったことがあるということですが。

室伏
御一緒させていただいてから注目していましたし、リオ大会や世界選手権も見させてもらいました。本当に素晴らしい活躍だなと思っています。

櫻木
木村選手、まず、水泳を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

木村
小学校4年生のとき、10歳の時に始めたのですが、生まれつきの全盲で、ほぼ見えない、光も見えない中で生活していたのですけれども、運動はすごく好きな子供だったみたいで、走ったりとか、わりと落ち着きのない方の子供で、ぶつかったりとか転んだり、怪我がとても多かったそうです。それを母親が心配して、限られた空間の中で運動していてくれる分には安全なのかな、という風に考えてくれて、スイミングスクールに入れてくれたのが始まりでした。

「悲しかった」リオ大会から、東京大会に向けて

櫻木
東京大会の代表に内定されている100mバタフライですが、前回のリオ大会では銀メダルということで。

室伏
悔しかったよね。

木村
なんか、悲しかったですね。
世界ランキング1位の状態で臨んでいましたし、前年の世界選手権では優勝していたので、自分でも勝てるっていう自信があったし、それでダメだったので。それまでやるべきことは全部やってきたと思っていたので、悔しいっていうのは、まだ何か悔いがあるときに出てくると思うんですけど、もうそれ以上何したら良いか分からなかったので、悲しかったです。

櫻木
東京大会に向けて、拠点をアメリカに移されたということですが、アメリカを選んだ理由は何だったのでしょうか。

木村
リオが終わって、「東京のパラリンピックに出たいな」とか「金メダルを獲りたいな」というのは、もちろん思っていたんですけど、リオまでの4年間ですごく頑張ったつもりだったので、それでも届かなかったってなると、それ以上のことをしなきゃいけなくて、でもそれをやるっていう自信がなかったんですよね。同じ環境の中で続けるっていう自信がなかったので、何か思いきり変えないと、もう続けたくないなと思っていて。拠点を変えて挑戦したっていう言い方をしてくれる人もいるんですけど、どちらかと言うと、日本で続けることから逃げ出して、違う環境でやってみた、という感じですね。

呼吸しているだけでも、成長していると思える

室伏
日本とアメリカで、実際の水泳のトレーニングの環境とかはどんなところが違うんですか。

木村
指導者自身は、過去にもアメリカ代表のパラリンピック選手を指導していた経験がある方だったので、パラリンピックに対する理解だとか、そういうものは最初からそこそこあったという状況ではありました。
ただ、トレーニングする環境とかは、今の日本のナショナルトレーニングセンターに敵うところは多分ないんじゃないかなと思うので、決してプールがすごく良いとか、トレーニングジムがすごく充実しているとか、食生活ももちろん日本人に合っているわけではありません。そういう環境面だけで言うと、ものすごく良かったわけではないと思うんです。ただ、そこでやっている自分というのが、すごく日々強くなっているというのを実感していましたし、心は強くなったなと思いました。楽しかったですね。もう、全部が新鮮で。もちろん、言葉もしゃべれなかったですし、何するにしても、色々考えて一生懸命やらないとだめだったので、呼吸しているだけでも自分成長しているなって思えるくらいで。楽しかったなって思っています。

室伏
木村さんが海外で、単身で行かれて取り組んでいるということは、今後のアスリートにも、影響が必ずあると思いますね。ボーダーレスで取り組んで、試合をしたり、トレーニングをするというのは、すごく大事なことですし、きっと友達だったり知り合いもできて、交流もあったと思いますので。

コロナ禍でのトレーニングの状況は――

櫻木
東京大会に向けたトレーニングを進めてきた中で、東京大会が1年延期ということになってしまいましたが、どのように捉えられたのでしょうか。

木村
延期の発表自体は、しょうがないなっていう風に思いましたね。とても試合ができる雰囲気じゃないというか、状態じゃないことは分かりますし。残念ではありましたけど。2020年にやりたかったなとは思いましたが、どちらかというと冷めているのかもしれないですけど、しょうがないなと思っていました。

室伏
本当に、いろんな面で予定も変わってしまって、アメリカからいったん帰ってこなければいけなかったり、スケジュールも予定も違う状況になってしまうわけですから、前向きにそうやってされているのは立派だなと思います。

櫻木
今、日本での練習拠点は。

木村
ナショナルトレーニングセンターです。パラ選手も使える東館のほうを使わせてもらっています。

櫻木
実際に、練習拠点を使用されてみていかがでしょう。

木村
なんか...こんなすごくて良いのかなって思いました。
それまでは、日本にいるときは毎日、明日はどこのプールで泳ごうと考えていました。それが、予約すればコースを貸してもらえて、食事もその中でとれて、宿泊もできてトレーニングもできてというので。快適ですよね。トレーニングに本当に全てのエネルギーを注げるという感じですね。

櫻木
そういった中でも、感染対策はしっかりととられているかと思うんですけれども、どのように感染対策されていますか。

木村
ナショナルトレーニングセンター自身が、すごく厳しい感染症対策をしていて、毎日、行動記録と体温は全部一括してそれぞれの割り当てられたアカウントから入力するようになっていますし、何か異常があれば、一切利用できません。仕切りとかも至る所にあったりとか、練習後の道具とかプールとかの消毒もしながらやっていますね。

室伏
我々は、やはりちゃんと、競技団体に行動計画書などをきちんと出していただきながら、できるだけ普段通りにトレーニングができるように、対策を練っています。なので、思う存分トレーニングをしていただきたいなと思っています。

→→→木村選手との対談 後編はこちら!
   木村選手が、コロナ禍でのスポーツの力や障害者スポーツの今後について語る!
   動画に掲載されていない番外編も...!

【プロフィール】

木村 敬一(きむら・けいいち)

2歳の時に病気のため視力を失う。小学4年生から水泳を始め、2008年の北京パラリンピックに初出場。2012年のロンドンパラリンピックでは銀・銅1つずつのメダルを取り、前回のリオデジャネイロパラリンピックでは、日本人最多となる銀2つ銅2つのメダルを獲得した。東京大会は、100mバタフライ(S11クラス)で代表に内定している。

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