橋岡優輝にまだ足りなかった「経験値」
大一番で生じた助走のずれ

メダルまではあと11センチ届かず

決勝の橋岡の跳躍。助走の感覚にずれが生じて、最後の1本でようやく8メートルを超えた(写真は3回目の跳躍) 決勝の橋岡の跳躍。助走の感覚にずれが生じて、最後の1本でようやく8メートルを超えた(写真は3回目の跳躍)【写真は共同】

 わずかに狂ってしまった歯車をかみ合わせるために、橋岡優輝(富士通)は5本の跳躍をつぎ込んだ。「最低目標」と語っていたメダルに向けて、残すはあと1回の試技のみ。「ここで悔いを残すようでは駄目。怪我をしてもいいという覚悟で飛びました」と、勢いをつけた助走で全身にパワーをたぎらせ、それを放出するかのように飛び込んだ。この日初めて大台を超える、8メートル10センチ(無風)の好記録。しかし、メダルラインまではあと11センチ足りず、初めての五輪は6位で幕を閉じた。

 7月31日に行われた予選では、1回目の試技で早々に8メートル17(追い風0.4メートル)の大ジャンプを見せて予選通過ライン(8メートル15)をクリア。1984年ロサンゼルス五輪の臼井淳一以来、37年ぶりとなる走り幅跳びでの五輪決勝進出を軽々と決めてみせた。6月に行われた日本選手権では、自己ベストを更新する8メートル36(追い風0.6メートル)を記録しており、これは今季世界7位のスコアである。惜しくもファウルとなった試技では8メートル50台の記録も見せており、今季の調子であればメダル獲得は決して不可能ではない。周囲が寄せるもの以上に、本人が大きな期待を寄せて挑んだ決勝だったはずである。  しかし、跳躍の要となる助走に、この大一番でずれが生じた。冬場にスピードと体幹の強化に努めた成果もあり、これまでより勢いのある状態で踏み込めていたことが、今季の好調の要因だった。それがこの日は「助走の中間が少し浮いてしまって、簡単に言えば鋭さに欠けていた」と、いつもの切れ味がなかった。前へ、前へと推進力を生むような走りではなく、上にエネルギーが逃げてしまったことで、強く踏み切って跳ぶことができない。指導する森長正樹コーチからも同様の指摘を受けていたが、ようやく鋭い助走を取り戻すことができたのは、後がない最終試技のみだった。 「悔しいです」。取材エリアに現れると、橋岡は開口一番、絞り出すように素直な気持ちをさらけ出した。

五輪特有の緊張感が、想像以上の疲労に

 なぜ助走の感覚がずれたのか。  橋岡はその最も大きな原因として「経験の不足」を挙げた。五輪というアスリートにとって特別な意味を持つ場所で試合をこなすということは、普段とは違う緊張と疲労を強いるのだろう。  予選では1本だけの試技だったが、体にダメージは蓄積しており、本人も「予選は1本で終われたんですが、それでも五輪ということで、疲労感はいつもと違っていました」と振り返った。今回は、予選から決勝まで中1日の時間があった。本番前日は「疲労を流すことを意識した」と体力の回復に重きを置いたが、完全に戻るまでには至らなかった。  2019年にはユニバーシアードで優勝し、同年9月にドーハで行われた世界陸上でも8位入賞を果たすなど、22歳は海外のビッグゲームでも実績を残している。その橋岡にとっても、やはり五輪の緊張感は想像以上に体へ負荷をかけていた。  6回目の挑戦で8メートル41(追い風0.1メートル)をマークし、東京で五輪初優勝を遂げたミルティアディス・テントグル(ギリシャ)や、同2位のフアンミゲル・エチェバリア(キューバ)は、橋岡と同じ世代の若手である。ただ、2人とも世界最高峰のリーグであるダイヤモンドリーグの常連であり、世界各地を転戦して回った経験がある。  本来なら橋岡も2020年から参加する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で大会の多くが中止となり、断念せざるを得なかった。予期せぬ不運も重なり、ライバルたちと最も違いのあった「経験値」を、稼ぐ機会が得られなかったのである。  ドーハで初めてシニアの大舞台に参戦した時は「『あ、あの選手がいるな』と、自分とはちょっと遠いような感覚があった」と、まだ別世界にいるような違和感もあったという。そこから2年かけて順調に記録と安定感を伸ばし、東京五輪では「肩を並べるというとおかしいですが、しっかり勝負していきたいと思っていました」。  参加するためではなく、そこで勝つためにたどり着いたファイナル。勝敗が決した後、橋岡は静かに記録が表示されたスクリーンを眺めた。 「自分の跳躍さえできれば、金メダルを狙えた位置にいけたはずだと思いました」  その姿は、この悔しさを決して忘れまいと、胸に刻んでいるように見えた。

五輪の悔しさは、3年後のパリで晴らす

今後は海外を拠点にすると話をした橋岡。すでに見据えるのは3年後のパリで金メダルだ 今後は海外を拠点にすると話をした橋岡。すでに見据えるのは3年後のパリで金メダルだ【写真は共同】

 五輪の悔しさは、五輪で晴らすしかない。まだ伸び盛りの22歳で、3年後のパリ五輪にも大きな期待が持てる。そこで金メダルを勝ち取るためにも、小休止を入れるつもりは毛頭ない。 「次の五輪が待ち遠しくはないです。パリでは金メダルを取るために、それを実現するだけの力を3年間でつけないといけませんから」  当然世界の状況次第にはなるが、今後はダイヤモンドリーグを中心に、海外で行われる試合を積極的に戦っていくつもりだ。それが今回のウイークポイントだった経験の差を埋め、緊張感の高まるゲームで本来の力を発揮するための、一番の訓練になる。橋岡の今後について、森永コーチはこう太鼓判を押した。 「メダルの獲得ラインとなる8メートル50については、本番で跳べる可能性があるところまで来ています。順調にいけば、あと1〜2年でその状態に持っていけると思います」  東京で手にすることができなかったターゲットは、パリで必ずつかみ取る。 (取材・文:守田力/スポーツナビ)

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