ハワイ育ちのサーファー・前田が持つ侍魂
旧友との約束胸に「五輪で日の丸掲げる」

第2回ジャパンオープンで優勝し、五輪選考会への切符をつかんだ前田マヒナ 第2回ジャパンオープンで優勝し、五輪選考会への切符をつかんだ前田マヒナ【時事通信/THE SURF NEWS】

「お互い新しい国の代表として頑張って、オリンピックで会おう」  11月に行われた『ジャパンオープンオブサーフィン』の2代目女王となった前田マヒナが、数年前に旧友のタティアナ・ウェストン・ウェブと交わした言葉だ。  前田マヒナは、日本人の両親を持つ、ハワイ生まれ、ハワイ育ちのプロサーファー。タティアナは、世界最高峰のプロツアー『チャンピオンシップツアー』に参戦しているサーファーで、前田と同じくハワイで生まれ育ち、ブラジル人の母親を持つ。二人は世界ジュニア選手権で“ハワイ代表”として出場しメダルを手にした仲だ。  2016年8月、東京五輪でサーフィンが初めて追加競技として採用されることが決まった。その後2018年3月には、国際サーフィン連盟から、1国あたり2名までという五輪出場条件も提示され、強豪国の中でも激戦区のアメリカ(ハワイ含む)からは五十嵐カノアを含む複数名が登録国籍を変更。この二人も例外ではなく、前田マヒナはハワイから日本に、タティアナはハワイからブラジルに、登録国籍を変更した。その時二人の出した答えが、冒頭の言葉だった。

ジュニア時代はともにハワイ代表として出場したタティアナ(前方中央左)とマヒナ(前方中央右) ジュニア時代はともにハワイ代表として出場したタティアナ(前方中央左)とマヒナ(前方中央右)【写真:mahina maeda Instagram/A-STYLE】

 五輪への最後の切符がかかった11月の『ジャパンオープン』で優勝を勝ち取った前田。来年5月末に五輪最終選考会となる世界選手権『ISAワールドサーフィンゲームス』を控え、今彼女の目に映っている景色とは? 前田のこれまでと、現在、そして未来を聞いた。

世界トップに君臨したジュニア時代

2014年世界ジュニアU16で優勝した前田マヒナ(写真中央) 2014年世界ジュニアU16で優勝した前田マヒナ(写真中央)【ISA/Michael Tweddle】

 日本からハワイに移り住んだ父と母のもとに生まれた前田。四国生まれ、大阪育ちでサーファーの父に連れられ、地元のサンセットビーチで4歳の時に初めてサーフィンをした。「ゴーグルと腕の浮き輪をして、とにかくキャーキャー騒いで楽しかった」と当時を振り返る。  キッズ向けの大会も多く開催されるハワイで、ごく自然に地元の大会に出るようになり、10歳の時に出場したノースショアのキッズコンテストで優勝。「世界で一番のサーファーになりたい」とプロサーファーを目指すようになった。  そこから全米アマチュア大会などでキャリアを積み、2013年には世界のアマチュア団体を統括する国際サーフィン連盟(ISA)主催の世界ジュニア選手権で優勝。16歳になった翌2014年には同大会で再び優勝し、更に世界プロサーフィン連盟(WSL)のジュニアタイトルも獲得。ジュニアサーフィン界における世界トップの座を獲得した。

スランプ期を支えた師匠、柔術との出会い

キッド師匠と前田マヒナ。チャンピオンシップツアーの選手からキッズまで幅広い世代のサーファーが前田のレッスンを受講する キッド師匠と前田マヒナ。チャンピオンシップツアーの選手からキッズまで幅広い世代のサーファーが前田のレッスンを受講する【写真:mahina maeda Instagram/A-STYLE】

 プロサーフィン界における世界最高峰のリーグは、WSLの組織する『チャンピオンシップツアー(CT)』。ここで年間成績が1位となるとその年の“ワールドチャンピオン”の称号が与えられる。女子は年間17名のみが参加を許され、このツアーに参戦するには各国で開催される予選リーグ『クオリファイングシリーズ(QS)』でポイントを稼ぎ世界ランキングを上げる必要がある。  ジュニアで輝かしい成績を残した前田は、2015年、17歳の時にこのQSで世界11位となり、チャンピオンシップツアー入り目前まで迫った。「来年こそ」と周囲は大きな期待を寄せた。  そんな期待を一身に背負った2016年の最終ランキングは22位。翌2017年は29位。いつの間にか試合で見かけることも減り、ジュニア世界女王はその影を徐々に潜めていった。18歳、19歳と多感な時期を迎えた前田はスランプに陥っていた。 「プライベートでいろいろと嫌なことが重なってバーンアウトした。もうサーフィンやりたくないと思って、1年試合に出ないことにしたの」  その間、前田の精神的な支えとなったのが、ヨガと武術を組み合わせたブラジリアン柔術Ginastica Naturalとその師匠キッド・ペリグロ氏だ。試合から離れた前田はこの柔術に打ち込みインストラクター資格まで取得。後の前田の選手生命を大きく支えることになる強靭(きょうじん)な体幹と師匠という精神的支柱をここで手にした。 「キッドさんは私のいい時も悪い時も全て見てきて、決して試合にでるように勧めたりしなかったけど、うまくこの道に戻ってくるよう導かれたと思います。1年試合に出ないって言っていたのに、結局半年で復帰しました。私にとってのキッドさんは師匠、友達、コーチ、メンター、お父さん、おじいさん……とさまざまな肩書があるんです」

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