鹿島丈博を頂点に導いた“目標設定”
金メダルの記憶 アテネ体操団体(3)

ドリッグスを入れた演技をするのは、試合では五輪が初めて。それでも鹿島丈博は集中力を高め、見事に成功させた
ドリッグスを入れた演技をするのは、試合では五輪が初めて。それでも鹿島丈博は集中力を高め、見事に成功させた【Photo by Clive Brunskill/Getty Images】

 鹿島丈博は跳馬に挑むにあたり、集中力を高めていた。最初の種目であったゆかが終わった時点で7位とやや出遅れた日本チームだったが、続くあん馬、つり輪で高得点をマークし、3種目を終えて2位にまで浮上した。鹿島もすでにあん馬で2003年の世界選手権王者にふさわしい演技を披露。9.750点をマークし、アテネ五輪の体操男子団体総合決勝では自身2種目の演技となる跳馬を迎えていた。
 鹿島の中には不安もあった。あまり得意とは言えない跳馬で、かつドリッグス(伸身カサマツ跳び1回半ひねり)を入れた演技をするのは、試合では五輪が初めてだったのだ。1人のミスも許されない6−3−3制が採用されていた決勝は、それだけで大きなプレッシャーがのしかかる。

 ただ、鹿島が緊張に押しつぶされることはなかった。
「『1種目も失敗できない』という気持ちがあったので、1つ1つの演技に対しての思いはすごくありました。『完璧を目指さないとやはり勝てない』と思ったので、0.1点でも高い点数を取ることを考えていましたね。そういうところで順位が変わってくるかもしれない。だから『失敗するかな』という緊張ではなく、自分を引き締める緊張感です。すごく集中していて、助走で走っているときに、(一緒に動く)カメラが見えていたくらい神経が研ぎ澄まされていました」
 着地も決まり、得点は9.600点。自らも満足する演技でこの種目を終えた。

 中学3年生だった1995年に特別推薦で全日本選手権に出場し、同大会のあん馬を制した鹿島は、早くから将来を嘱望されていた。しかし、成長期で背が伸びたことにより、筋肉の発達が追いつかず、その後はやや伸び悩んだ時期もあった。
「本当に全部のバランスが崩れてしまって、一からやり直す作業をしていたくらいです。成長期だから肩とかいろいろなところが痛くなってくる。その中で学校生活を送り、競技にも取り組むということで、高い目標に向かえていなかったんです」

世界王者に輝いたこともあるあん馬は、鹿島の得意種目。アテネでも高得点をマークした
世界王者に輝いたこともあるあん馬は、鹿島の得意種目。アテネでも高得点をマークした【写真:アフロ】

 実際に目標設定ができるようになったのは、2000年のシドニー五輪が終わったあとの大学3年生になる直前だったという。同大会のメンバーに入れなかった鹿島は、「このままでは絶対に五輪には出られない」ことを明確に結果として突きつけられた。五輪を目指していると口では言っていたが、心の中にはどこか甘えがあったのだ。結果が出ないことを誰かのせいにしたり、「肩が痛い」からとケガのせいにしたり……。
「そういう現状が続いていることにあるとき気がついたんですね。まずは『それをやめよう』と思って、日々できることを積み重ねる作業に集中しました」

 毎日の練習をどうするか考えるところから始まり、設定した目標から逆算し、その日に何をするか決めていく。するとより詳細なタスクが見えてきて、そこから試行錯誤を繰り返していった。練習の質はどんどん上がり、できることも多くなる。そうなれば体操が楽しくなっていくのは当然で、いつしか結果も付いてくるようになった。

 02年の世界選手権はあん馬で銅メダル、翌年の世界選手権ではあん馬と鉄棒で金メダルを獲得した。目に見える結果が出たことで、これまでいかに自分の目標設定が低かったかに気づく。
「『これだけやったらこんなにできるんだ』と気づくことが多くて、日々変化がありました。本当に楽しい時期でしたね。『今までやってきたことが間違いじゃなかったんだ。だからもう少し頑張れる』という目標ができたので、進んできた方向が良かったんじゃないかと思います」

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