精神的支柱の悲願とつり輪に懸けた男
金メダルの記憶 アテネ体操団体(2)

 アテネ五輪の体操団体総合は予選で6−5−4制、決勝で6−3−3制が採用されていた。6−5−4制は代表メンバー6人のうち、各種目で5人が演技し、そのうち点数の高い4人の得点が加算される方式。不得意な種目にも出場しなければならないが、1人に大きなミスが出たとしても、その選手の得点は加算されない。2人以上がミスをしなければチームの得点にはさほど影響がなかった。
 一方、6−3−3制は6人のうち、各種目で3人が演技し、その点数がそのままチームの得点に加算されるため、ミスが許されない。決勝はより安定した演技が求められた。

唯一、五輪出場経験を持っていた塚原直也。チーム最年長であり、精神的な支柱でもあった
唯一、五輪出場経験を持っていた塚原直也。チーム最年長であり、精神的な支柱でもあった【写真:築田純/アフロスポーツ】

 予選を1位で通過した日本は、決勝でゆかからのスタートとなった。ゆかで始まる正ローテーションで回ると、最終種目は日本が得意とする鉄棒となる。狙い通りの展開で決勝を迎えることができた。
 そのゆかで一番手を任されたのは、日本チームで唯一、五輪出場経験を持つ塚原直也だった。キャプテンの米田功と同学年の塚原はチーム最年長であり、精神的な支柱でもあった。マイペースなところもあったが、その経験をメンバー全員が頼りにし、米田も「僕らにとってはすがる存在だった」と語る。

 だが、1996年のアトランタ五輪、2000年のシドニー五輪と過去2大会に出場した塚原でさえ、「あのゆかは人生で最も緊張した」と振り返る。
「たぶん、この先もあんなに緊張することはないと思います。合宿や試技会などでもこうした場面を想定して、絶対に失敗しないようにイメージを作り上げてきたのですが、それでも緊張しすぎてきつかったですね」
 とはいえ、小さなミスこそ出たが、得点は9.312点。1番手の責務は果たして、後続につないだ。

塚原にとって五輪での金メダルは悲願であった。過去の苦い経験を生かし、アテネでは自分の責務を果たすことに集中した
塚原にとって五輪での金メダルは悲願であった。過去の苦い経験を生かし、アテネでは自分の責務を果たすことに集中した【スポーツナビ】

 塚原にとって、五輪でメダルを獲得することは悲願であった。チーム最年少の19歳で出場したアトランタ五輪、前年の世界選手権で個人総合2位となって迎えたシドニー五輪は、いずれもメダルに手が届かなかった。特にシドニー五輪は自らも金メダルを期待していただけに、個人総合で18位と惨敗を喫したことはショックだった。
 ただ、こうした失敗が自らの意識を変えるきっかけにもなる。シドニーでの失敗は、金メダルという目標にとらわれすぎてしまったことによるものだった。
「前年の世界選手権で2位になったこともあり、目指すは頂点しかなくなっていました。金メダルが見えてきて、それだけを考えてがむしゃらに練習をしすぎてしまったんです。そうしたらオーバーワークになってしまい、ケガをすることもあった。そのせいで練習もうまくいかなくなって、焦りも出てきた。自分に見合ったペースでやっていけばいいのに、それを無視して金メダルを取るためだけにやってしまったのが失敗でした。そのとき基本に戻って『自分が何のために体操をやっているのか』を考えられれば良かったのかなという反省はあります」

 シドニー五輪以降、塚原はコーチをつけず、1人で自分の調子を見ながら、練習の内容や量を調整するようになった。もちろん1人でやるからには自らの責任で練習しなければならず、そのぶん「どうやったらもっとうまくなれるのか」ということを考える機会も増えた。日本チームのメンバーが口をそろえて、塚原のことを「マイペース」と評していたが、性格的な部分もありつつ、競技者としては過去の教訓からこうしたスタイルに変えていったことが、塚原の成長を促したとも言える。
「大きな失敗をした経験を積んで、『これさえ守れば次はここまで崩れることはない』と逆に自信を持てるようになりました。大事な試合であればあるほど自分を冷静に見ないといけないということをシドニーでは学んだんです」

 こうした経験がアテネ五輪でも生きた。決勝最初の種目で1番手を務めることは多大な緊張を伴う。しかし、これまで培った経験を買われた塚原は無難に演技をまとめ、その責任を果たした。日本はあまり得意とは言えないゆかで7位スタートとなったものの、続くあん馬で3位に浮上し、つり輪を迎えた。

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