東京オリンピック・パラリンピック、聖火リレー延期後の日程を更新しました(9/30)。聖火リレーの市区町村ごとの日程やルートについては、正式発表後に更新します。

五輪3連覇、そして次世代へ語り継ぐこと
金メダルの記憶 柔道・野村忠宏(5)

決勝のヘルギアニ戦で優勢勝ちを収め、あおむけになりながら万歳する野村忠宏(白)。五輪3連覇という偉業を達成した 決勝のヘルギアニ戦で優勢勝ちを収め、あおむけになりながら万歳する野村忠宏(白)。五輪3連覇という偉業を達成した【写真は共同】

 2004年のアテネ五輪を迎えるにあたり、野村忠宏は大きな自信を得ていた。すでに29歳とベテランの域に達し、練習の量では若手に及ばなかったが、質にとことんこだわることで試合に勝てる状態を作り上げてきた。何より休養から競技復帰したあとに味わった地獄を乗り越えたことは、柔道家としてのレベルを一段上げることにつながった。 「他の誰も乗り越えられないような挫折や苦しみを、俺は乗り越えてきたんだ」  だから、大会1週間ほど前にケガをしても さほど不安にはならなかった。復帰してからの勝てない自分を見て弱さを知り、それを受け入れ、乗り越えるための努力をした。そこからまた強い自分を作り上げ、アテネの畳に上がるのだ。  男子柔道の先陣を切って、60kg級は8月14日に行われた。初戦となった2回戦から準決勝まで野村はオール一本勝ちを収める。2回戦を除いた3試合はすべて1分以内に勝負を決めるなど、文字通り圧倒的な強さで決勝まで勝ち上がった。  野村はこの大会で3連覇することを前提として、別のことにも意識を向けていた。それは柔道家としての所作である。畳に向かう歩き方、礼の仕方、たたずまい、勝者としての振る舞い―― 。単に競技としての実力だけではなく、他の部分でも「柔道の美しさ」を感じてもらえるように所作も意識していた。これは自分を育ててくれた柔道への感謝を示すものでもあった。裏を返せば、こういうことを意識する余裕すら、アテネ五輪時の野村にはあったということだ。  決勝のネストル・ヘルギアニ(グルジア)戦は、相手が逃げ腰だったこともあり、一本は取れなかった。それでも優勢勝ちを収めた野村は、五輪3連覇という偉業を成し遂げた。

復帰後の苦しみを乗り越えたぶん、アテネ五輪での金メダルは過去2大会よりも重いものになったという 復帰後の苦しみを乗り越えたぶん、アテネ五輪での金メダルは過去2大会よりも重いものになったという【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

 野村にとって3つ目の金メダルは、過去の2つより重いものだった。それは自身が柔道と向き合った重さでもある。苦しんだ時間が長いほど、つかんだものの価値は大きくなる。アトランタ五輪は「若さと勢いで勝ち取った」金メダルで、シドニー五輪は「絶対的な強さと自信を持って、取るべくして取った」金メダルであった。しかし、アテネ五輪は2年近くのブランクを経て、落ちるところまで落ち、そこから這い上がっての金メダルだ。過去2大会とは苦しみの度合いが違う。  アテネ五輪は野村の人生観に変化を及ぼした。3連覇というチャレンジは自分以外のすべての人が諦めていた。だが、野村だけは諦めずに自分を信じ、夢を勝ち取るために自らを変える努力をした結果、それが結実したのだ。そして「かっこ良く辞めよう」と思っていた若いころの自分も、アテネ五輪を経ていなくなった。むしろ現役として、区切りをつけずに挑戦し続けようとさえ思うようになったのである。  野村にとって五輪3つ目の金メダルは終着点ではなく、新たな自分と出会う出発点になった。

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